河合師範 「信心の基本を学ぶ」③

 どうしたら体験できるかといえば、具体的に祈って動くこと。そうすれば必ず体験ができるから信が深まって「もっと頑張ろう!」となる。人材育成・新入会員をどう育てるか?功徳を受けさせること。喜んで活動家になる。活動を押しつけたら潰れてしまう。信心を教えて功徳を受けさせること。今、あまり功徳を受けていませんね。体験発表というと新入会員ばかり。古い会員はこんなに頑張っているのに体験がないから。やってることは間違っていない。でも信心が惰性、活動が義務になっている。一念が間違っている。先生は、「信心が惰性になったら退転だよ。」と言われた。頑張っていても退転。どういう時が情性か?10項目ある。

情性とは

一.信心の上での決意・目標が曖昧なとき

二.勤行しているが具体的祈りがないとき

三.勤行・活動が受け身になったり義務的になっているとき

四.信心のことで愚痴や文句が出るとき

五.信心の歓喜や感動・感謝が感じられないとき

六,求道心が弱くなっているとき

七.仕事や家事がおろそかになっているとき

八.悩みに負けて落ち込んでいるとき

九.広布の使命感がなくなっているとき

十.幹部としての自覚や責任感が薄れているとき

 ひとつでも当てはまれば惰性。惰性は空回り。やっていることは間違ってないのだから一念さえかえればよい。自分のために信仰すること。変わるために信仰すること。いろんな打ち出しは間違っていない。これは広布の共同目標。ノルマと受け取るから苦しくなる。功徳を受けるために頑張ればよい。そうすれば正しい。先生は、「信心は義務じゃないよ。幸せになる権利だよ。自分が決意して自分が動いた分だけ自分が得するんだよ。」と言われている。自分のためだから喜んで頑張れば功徳がある。しようがないから頑張ったら惰性で空転する。形は同じでも結果はえらい違い。幹部にほめられても、御本尊にほめられなければだめ。今は幹部公認・御本尊非公認になっている。功徳がないということは仰本尊に通じてないということ。これではつまらない。御本尊に認めてもらうのが信心。功徳を受けない信心ともうからない商売はやめることです。

 信仰とは夢があり、希望があり、ドラマがあり、歓びがある。こうなればいいなぁというのが夢、こうしよう・こうなろうというのが希望、その希望を具体的に強く祈れぱ、その希望が実現する。それが信仰。うんと夢を持って、その中からまず具体的な希望を立てて、祈って実現していく。次にまた夢を希望に変えて祈って実現していく。次から次へと夢を希望にし、実現していくための信仰。頑張っていればいつか実現するのではない。決めて祈らなければ実現しない。

 この前、大田区での会合終了後に、1人の地区部長が来て、「10年前に話を聞いて信心で変わろうと決意しました。当時、貧乏のどん底で仕事もなかった。本気で信心で変わろうと決めた。途中いろいろあったが、今、43人使って運送会社をやっています。ちょっと変わりました。」と言っていた。信心で変わろうと思い続ければグングン変わるのが信仰。そのための信仰。いつか変わるのではない。頑張っていればよいと思って功徳を受けることを忘れていませんか?それではつまらない。戸田先生は、「祈りを叶え、夢を叶え、誰よりも幸福になっていくための仏法である。人生を勝利するための仏法である。祈りが叶ってこそ真の仏法である。」と言われた。

 幸せになるための信仰。祈りを叶えるのが信心。戸田先生は、「現代の人間は非常に欲張りでありながら、成仏という絶大な利益を願わない点においては、無欲とも愚かともいうより他はない。私どもは大いに欲張って生きていること自体が嬉しくてしようがないという絶対的幸福の境涯を、我も開き友にも開かせていこうではありませんか。」と言われた。もっと頑張りましょう。うんと欲張って、何を願っても良いんです。人の不幸は祈ってはいけませんが、それ以外は何を祈ってもよい。あれもこれも願いを叶えて、その歓びを分けてあげましよう。それが広宣流布。功徳が無くて人に言えますか?。それは詐欺。仏法を語るのではなくて信仰の歓びを語ること。歓びが伝わる。

 御書に、「喜び身に余るが故に堪え難くして自讃するなり(P.334)」とある。嬉しくてしようがないからつい「仏法はすごいよ」と言ってしまう。これ.が本当の折伏。功徳をうんと受けましょう。小遣いがないのに人におごってあげられない。功徳をうんと受けて分けてあげましょう。けちはだめ。大阪の人はけちではないはずなのに、最近随分けちになりましたね。功徳を受けることを忘れている。それでよく頑張りますね。功徳を受けるために頑張るべき。先生が「皆さんの健康・長寿・幸福・裕福を祈ってますよ。」といつもおしゃる。健康・裕福になることが先生に応えること。「こんなに幸せになりました。そしてみんなを幸せにしました。」と報告すれば、先生はうんと喜んでくれる。「頑張ってます。でも変わってません。」では、先生は悲しみます。今は先生を悲しませている。先生は幸せの指導者・広布の指導者。功徳を受けない信仰は間違った信仰。惰性と義務になっている。ギアさえはいればワァっと変わる。

 あるB担が、「活動をすれど活動をすれど我が境涯少しも変わらず。」という歌を作った。これを『啄木型信心』という。頑張っても惰性では変わらない。惰性だと気がついて、何でも祈るようになったら何でも叶うようになった。去年の暮れに洗濯機が壊れた。そこで御本尊に「洗濯機が壊れたから新しいのが欲しい。できれぱピンクのが欲しい。」と祈った。1時間ほど唱題したら近所のB担さんが来た。雑談の中で洗濯機の話をしたら「じゃああげようか。」と言う。相手はマンションの管理人。最近は若い人が引っ越すときに面倒くさいので置いていってしまうらしく、「たくさんあるからいらっしゃいよ。」と言われて倉庫に行ってみたら、新品同様のピンクの洗灌機があった。1時間で叶ってしまった。何でも叶う。

 「白い良い猫が欲しい!」と祈ったら、白い猫が迷い込んできて、飼い主もわからず居着いてしまった。このあいだその猫が歳で死んでしまった。「同じ猫が欲しい!!と祈った。ペット屋さんに見に行くと十五万円した。「二万円でください!」と祈った。インターネットを見ていたら「猫あげます」と出ていた。電話をかけたら同じ種類の猫だった。「赤ちゃんができて飼えなくなったからあげます。」とのこと。そして横浜から東京まで連れて来てくれた。そこでお礼に二万円あげた。願い通り、2万円で手に入れてしまった。何でも叶う。これが普通。

 一昨年の2月に姪を折伏した。美大の生徒。おばさんが願いは叶うよと言ったから、90項目祈ったら3ヶ月で全部叶った。今100項目祈っている。どんどん叶うから嬉しくてたまらないと毎日3時間題目をあげている。それを見て嬉しいからどんどん折伏ができる。その姪の変わった姿を見るとみんな友人が入信する。

 去年の2月に「パリに行って美術館巡りをしたい」と祈っていたら、たまたま知り合った画家が「仕事を手伝ってくれるなら一緒に連れてってあげよう。」と、費用は全部向こう持ちで2ケ月間ただでパリを回って帰ってきた。何でも叶う。これが普通。それを聞いた婦人部の幹部が「私も祈ろう!」と100項目祈りだしたら、どんどん叶い、「あれ?祈りって叶うんだ。」と言っていた。

 祈りは叶って当たり前。祈ってないから叶わない。もっと欲を出して叶えましょう。頑張るばかりでは「仏道苦行」で楽しくない。『成果の無間地獄』です。功徳を受ける連続チャンスと受け止めれば功徳を受けるチャンス。やらされると思ったら苦しみになる。

 北海道でおもしろい話を聞いた。青年部時代は隊長で地区幹事さんで、漁師だったが今は福運がついて船を何隻も持っている漁会社の社長。一昨年・去年の鮭漁が不漁で大赤字で困っていた。北海道漁村部長が指導に行って、「鮭が獲れないと言うけど、鮭がいないんじやないでしょ?来ないだけでしょ?呼べばいいじやないですか!海に国境はないんだから。」と言った。それから本気で祈ったら、それまで20匹しか獲れなかったのが300匹獲れたそうです。大漁が続いていっぺんに黒字になってしまった。信心は簡単です。商売でお客さんが来なければ強く祈って呼べばいいんです。その上で努力と工夫をすればよい。
[PR]
by hakodate0711 | 2012-11-15 18:10 | 河合師範