徒然なるままに書いてます

by hakodate07

河合師範御書講義④

この御書は、文永十二年の三月に日蓮大聖人が佐渡から帰られて
身延に入られた翌年のお手紙です。
文永十一年の九月、前年の九月に日蓮大聖人が佐渡から帰られ
て身延に入られた。そのことから四条金吾が一大発心をして主君を
折伏をします。主君の江間氏と言うのは念仏の強信者なんですね、
極楽寺良観の信者でもある主君を折伏して、そのことから、主君から
疎まれる。それから、同僚が全部極楽寺良観の信者ですから、裏で
策謀して、四条金吾に対する迫害が始まります。そうゆう迫害があったの
ですね。そうゆう事から四条金吾がおもわず、愚痴をこぼした。
「こんなはずじゃなかったのに」と愚痴をこぼした。その事を縁として
その報告を聞いた日蓮大聖人が、四条金吾を指導したのがこの御書
なんですね。

本文
四条金吾殿御返事 

御書全集1136頁 文永12年3月 54歳御作

此経難持の事、抑弁阿闍梨が申し候は貴辺のかた(語)らせ給う様に
持つらん者は現世安穏・後生善処と承って・
すでに去年より今日まで・かたの如く信心をいたし申し候処に
さにては無くして大難雨の如く来たり候と云々、
《講義》

悩み、問題が起きたときがチャンス

鎌倉に日蓮大聖人がいないあとは、弁阿闍梨日昭が鎌倉の中心者
ですから、その鎌倉の中心者の日昭がいうには、「あなた」が、四条金吾が
いうには、「持つらん」「法華経を持つ者は現世安穏・後生善処と承って」と
聞いていた。去年から「かたの如く」いわれた通り信心をしてきた。とことが、
「さにては無くして」現世安穏どころではなくて、「大難雨の如く来たりて候」
かえって信心を頑張ってきたら大難が雨の如く降ってきた。おかしいじゃないか、と、
つい「愚痴」をこぼしたのです。日蓮大聖人だったらそのようなことはいいません
けれど、相手が日昭ですから気安くつい言ってしまったんですね。
「真にてや候らん又弁公がいつわりにて候やらん」私にはとてもそのようなことを
いったとは信じられない。「真にてや候らん」ということです。
日昭がうそをついたのかもしれない。この事は本当なんですけれど、四条金吾を
かばってあげたのですね。「そのようなことはないと思うけれど」と日蓮大聖人は
おっしゃっているんです。「いかさま・よきついでに不審をはらし奉らん」ちょうどいい
チャンスだから、その不審をはらしておきましょう。これは、信心をしている人が
「疑問」を持った時 がチャンスなのです。また、問題にぶつかった時がチャンス
なんです。何にも悩みがないときはそう簡単に信心できないのです
。何か悩みに直面した時がむしろチャンスなんです。そうゆう事で、四条金吾が
「不信」を起こした、今、難にあっている、「チャンスだ」ここで「不信」をはらして
おかなかったら大変だ。あとで尾をひいてしまう、ここですっきりしておかなくてはいけない。
このようにおっしゃっているのですね、これが「指導」のコツになるのです。
「何かあった時がチャンスだ、よしここで、しっかり信心させよう。
悩みがなくて「チャランポラン」な信心をしていた人がいた。よしここでチャンスだ、
そうゆう風にこっちが決めるのです。「困ったな、あんなに題目をあげて折伏をして
頑張っているのに悩みが起きた」困ったなと思ってはいけないんですよ。
信心をしていて、色々なことにぶつかる。一つは、その人の持っている宿業が出てくる
のです。もう一つは、「信心がチャランポランな為に行き詰まる」ということがあるのです。
本質的には、全部自分の中に持っているものが出てくるのですけれど。
「行き詰まっている人」と言うのは、悩みがあるから行詰まっているのではないんです。
「信心」が行き詰まっているから行き詰まっていると考えるのが、正しいのです。
悩みがあろうと問題があろうと「信心」がある人は行き詰まりはないんです。
何にも悩みがなくても「信心」が行き詰まっているから、問題が出てきて行き詰まって
いるのです。そうゆう面で、その人の一念を「指摘」してあげればいいのです。
悩みの内容がどうのこうのと言うことは、あまり関係 がないのです。仕事の問題が
どうのこうのとか…………、信心をしている場合は、悩みの内容がどうあっても
指導は出来るのです。それは、相手の一念をただせばいいのです。
指導してあげればいいのです。その指導と言うのは「決意」させればいいんです。
「御本尊様」を拝めば解決するんだ、さあチャンスだ、宿命転換のチャンスだということを
相手に訴えて「決意」させればいいんです。それから「変わり」始めるのです。
うゆう面で「何かあったとき」がチャンスだということですね。
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by hakodate0711 | 2012-12-07 19:07 | 河合師範