徒然なるままに書いてます

by hakodate07

河合師範御書講義⑤

現世安穏とはどんな悩みや、問題にも負けないこと

信心してても「難」がある「問題」があるということは「現世安穏」
といっても「悩み」が無くなることではないんですね。どんな「悩み」や
「困難」に負けないで、それを「プラス」に変えていけるということが
「現世安穏」なんです。「悩み」が無くなることじゃない。「負けなく」なる
ことであり、どんな「悩み」も「プラス」に変えていけるということが
「現世安穏」なんです。
戸田先生はこうおっしゃった。『日蓮大聖人様は佐渡に流罪されて、
いつ飢え死にするか、凍死するか暗殺されるか分からない。
ある意味では地獄です。そうゆう状況の中で日蓮大聖人は、「日蓮は
流人なれど喜悦はかりなし、日本一の富めるものなり」とおしゃった
のです。そうして、開目抄とか観心本尊抄を書かれてる。
安心しきっていらしゃるんです、何にも心配がない、そうでなければ
、あのような大論文が書けるわけがない。と同じように、信心すると
いうことも悩みがなくなるんじゃないんだ。どんな悩みが起きたって
根本は安心しきっていけるということではなかろうか。病気になった。
「さあ、御本尊を拝めば大丈夫だ」「問題が起きた、さあ、信心で解決
しよう」とこうゆうふうに、なれば根本は安心しきっていけるというこ
となんだ。』と良く言われたんですね。牧口先生はこう言われた。
『病気をした。これは罰だ。と、何故だったんだろうと悩んでもしょうがない。
それだけでは解決はしない。そこでこの病気を必ず変毒為薬してみせる。
健康という大福運を開いてみせると確信をして、決意して信心を続けていく
ことが大事なんだ。そうすれば、病気が治るだけではなくて、全快した
ときには以前より健康になるのが変毒為薬の妙法の功徳なんだ』と
いわれた。病気したら前より健康になればいいんです。治っただけじゃ
いけないんです。前より健康にならなくてはいけないんです。
失業したら前よりいいところに就職すればいいんです。そして、
同じ事で二度と悩まない。これが宿命転換した証拠なんです。
仕事の事でまた悩む、しばらくしてまた悩むというのは、宿命転換し
ていないんです。ですから、宿命転換すれば、同じ事で二度と悩まなく
なるんです。それが、大事なんです。病気が治っただけでは、マイナスが
ゼロになっただけです。ゼロでは駄目なんです。プラスにならなくちゃ
駄目なんです。前より健康にならなくちゃいけない。失業したら就職ができた。
これは、マイナスがゼロになっただけなんです。
前よりいいところに就職しなくちゃいけない。プラスにならなくちゃいけない。
しかも、同じ事で二度と悩まないことが、宿命転換した証拠なんです。
でないと、また同じ事を繰り返す。これじゃいけないんですね。

これは、だるまですね。耳をつけると、起き上がりこぼしになります。
ダルマは謗法だけど、起き上がりこぼしは謗法ではない。
前の第六東京井上男子部長(当時)の井上県長が島根県にいったでしょ。
そこで、謗法厳禁とやかましくいったんです。そこの、大B長、大B担(当時)
のお店の名前がダルマ食堂といっていた。長年ダルマ食堂で来たわけです。
そこの、大B長、大B担が「ダルマ食堂」って謗法でしょうかと、井上県長に
指導を受けに来た。そして、井上県長から私(河合師範)のところに電話が
かかってきたんです。「ダルマ食堂」って謗法でしょうかと。「ダルマ食堂」って
名前そのものを拝むわけではないから謗法とは言えないかもしれないけれど、
でも、邪宗の教祖の名前をつけることはないでしょ。「弘法食堂とか、
法然食堂とか名前をつけるか」とかつけますか?。それと、おんなじ事です
から、それで、井上県長(当時)が「大福食堂」と名前をつけてあげたそうです。
ダルマというのは、行き詰まっている姿ですからね。手も足も出ないんですから、
縁起のいいものではないんですよ!。これは、起き上がりこぼしです。
起き上がりこぼしは、触ればゆれるけど、ほうって置けば必ず安定しますね。
それは、起き上がりこぼしの底に重たい重心が入っているから、触ればゆれるけど、
最後は安定するんです。この、重心が重いほど安定度は増しますね
重心が上の方にあるとひっく り返ってしまいますね。仏界の重心を重くすれば重く
するほど、何があってもすぐに元に戻るんです。ですから、命の重心を重くすれば、
何があってもゆれが少なくなってくるのです。そして、根本は安心しきっていける。
そうゆう面ではそれをどう乗り越えていくかということが問題なんです。
負けなければいいんです。悩みがあることは恥ではない。信心しているものとして、
いつも、同じ事で悩んでいるのは恥じなんです。
そして、その宿命に振り回されているということなんですね。結局それは、
命が弱いからなんです。 (氷山の絵)このように、氷山があります。
氷山の一角といわれるように、水の上に出ているのはほんの一部なんですね。
水の上に出ている部分を悩みとします。この部分だけが宿命ではないんですね。
宿命の現われに過ぎないんです。人の生命は宿命の固まりなんですね。
水から出た部分が悩みなんです。この悩みを方法で解決したとします。
病気になった、医者で治した、悩みはなくなった。ところが、氷山は上の部分が
なくなると、また、下の部分が出てくるんですね。今度は、家庭の問題であるとか、
そのうちに、氷山の下の部分が膨れてくるんですね。きりがないんですね。
ですから、元を断たなければ駄目なんです。生命そのものを変えなければ、
悩みの形が変わるだけで、悩むことに変わりはないんです。その生命そのもの
弱い醜い命を、どうきれいにするかということが信心なんですね。だから、
悩みが起きた時がチャンスなんです。で、ある面では、悩みが出てきたと
いうことは、その人の宿命が出てきたわけですから、ただし、信心して出てきた
場合には、これは、解決する為に出てきたんです。ちょうど借金がある。
借金を返していないと取り立てに遭いますね。取り立てにあったような
もんなんです。戸田先生は「癖が出るのを罰という」といわれた。
この「癖」というのは、命の「癖」つまり「宿命の癖」が出るのを「罰」・「不幸」というのだ。
と。言われた。「罰」というのは「仏様」や「神様」があてるのではないんですね。
自分の中にある「癖」が出てくるんですね。ですから、「罰」は出るもんなんです。
バチが当たるのは太鼓だけ。その出方が問題なんですね。信心をしている
場合には「転重軽受」、(重きを転じて軽く受く)これを現代的に言うと
大型割引ということなんですね。どんなに信心頑張っても借金がゼロにはなら
ないんです。ですから、信心をしていて「悩み」が出てきたということは「転重軽受」
するチャンスなんです。ここに、百万円の借金がある。とても返せない、
十万円に負けてやるからすぐに払うかと言ってきたようなものなのです。
払ってしまえば、百万円の借金は無くなるんです。ですから急いで払って
しまえばいいんですね。払わないと結局差し押さえにあうんです。
だからチャンスなんです。ですから、「悩み」が出たときに百万円の借金が
十万円で済むんですから十万円払ってしまえばいいんです。
よし、チャンスだと「決めて」やれば「軽くすんで」後に「福運」が残るんです。
ですから、問題が出た時がチャンスなんです。そのように「決めて」「決めさせる」
しかないんです。そういう面で「命」が強いか弱いか、「命」が弱いから環境条件に
負けて悩みだらけになるんです。「命」が強くなれば環境条件に負けないで
環境条件を変えていけるんですね。結局全部「命」の問題なんです。
「命」の問題は「信心」の問題、「信心」の問題は「決意」の問題になるんです。
[PR]
by hakodate0711 | 2012-12-08 21:57 | 河合師範