海の文化と村の文化③ 於保哲外先生(ドクター部)指導

どうして、真面目な人が病気になるんだろうと考えざるを得なくなってきますね。
そのあたりのことを、昨年、聖教新聞の心のページ「ふれあい診察室から」と
いうコラムに、「遊びとまじめ」という題で書いたんです。書くに当たって、
まず、原点に戻ろうと思いまして、広辞苑を開いて、「真面目」を調べてみました。
なんとですね、「真心のこもった顔つき、態度」と書いてあります。
ちょっとふつうのイメージと違いません?
そのまま書いたら、聖教新聞の担当の方が違和感を懐かれたんですね。
もう一度、広辞苑をひきなおしたそうです。
すると、私が調べた広辞苑は第3版で古い版だったんですが、今、第5版で新しく
なっていて、しかも意味が変わっているんです。「真面目」の意味がここ10年、20年で
変わっているんです。こういうことは気がつかないうちに、変わっているものなんですね。

我々が日常的に使っている真面目というのを考えてみると、
「周りに合わせる。世間の常識に忠実に随って生きる。日本文化に随って生きる」。
こういうのを真面目と考えると思うんです。
しかし、この日本文化というのがくせ者ですね。私が見るところ病気の原因になる
文化なんです。
すなわち、謙虚、ひかえめ、謙譲の美徳、奥ゆかしく、男は黙って、女は一歩退いて、
人に気を使って、人に合わせて、自分が我慢して、でしゃばってはいけない、
いい気になってはいけない、調子に乗ってはいけない、天狗になってはいけない等々
、とにかく、一言で言うと「自分を殺せ」と言うのが日本文化なんです。
だから、真面目な人ほど自分を殺していますね。したがって、真面目な人は個性が
ないですね。しかも、消極的です。世の中、一つの組織を動かす人や、
会社を引っ張っているような人は、だいたい、ずうずうしい人ですね。
そして、図太い人ですよ。それから、常識にとらわれない人が多いですね。
しかも、わがままでワンマンの人が多い。
こう考えると、今の世の中、いわゆる、日本文化から見て悪い人が元気なんです。
いい人はあまり元気がない。病気になりがちなんです。
結局、これを仏法という眼で見ますと、真面目で自分を殺すというのは、
妙法の当体を殺しているわけですから、これは謗法になるんですね。
妙法の当体である自分自身を輝かしている人は、実は、考えたら、
図々しい人なんですね。

そうしてみると、たとえば良い例が某党の代議士。
選挙の当選者インタビューなんかで、テレビを見ていると、なんと尊大と言うか、
図々しい人が、大きな顔をして出ています。そういう人は元気です。
勢いがあるんです。そして不思議に、福運があるんです。
一方、真面目な人は福運がない。よく池田先生が、「ずうずうしく、図太く、たくましくいこう」と、
「口八丁、手八丁でいくんだ」とおっしゃいますが、それが正しいんですね。だから、
今の世の中、「悪がのさばっている」と言いますが、悪がのさばっていることも
もちろん問題なんですが、「いい人が自分を殺す」という、間違ったことをしていることの
ほうが見えにくいだけに、もっと問題なんですね。
だから、これからは、真面目な人が、善い人が、思いやりのある人が、心優しい人が、
もっともっと言いたいことをずけずけ言っていく。正義を主張していく。
勢いを増していく。そうなっていくと、今のさばっている、自分さえよければいいという
人達が、肩身が狭くなっていくでしょう。そうなってこそ、牧口先生のおっしゃる、
「人道的競争の時代」ではないかと私は思うんです。
実はこの日本文化、真面目というのが、先ほどから言っている「村の文化」なんです。
出すぎた真似をすると村八分になるんです。白黒はっきりさせる人は嫌われるんです。
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by hakodate0711 | 2013-06-26 20:45 | 於保先生(ドクター部)指導