海の文化と村の文化⑥ 於保哲外先生(ドクター部)指導

池田先生も海苔屋の息子さんです。こうして見ると、創価学会の歴代会長は
全部「海の文化」なんです。大聖人と非常にストレートにつながっているんです。
その間に村化した部分をのぞいて。

非常に興味深いのは、創価大学の宮田教授が、私の先輩ですが、牧口先生の
研究をされております。牧口先生が、もし宗門と直接出会ったらおそらく入信
しなかっただろうと書いておられました。

牧口先生は、創価教育学の土台になりうる宗教を求めていらっしゃった。
自立的かつ論理的である宗教です。創価教育というのは、生徒を温かい心
で見る、そして人間の可能性を開く、そういう教育ですからその土台となる
宗教を探されたんです。
そして、日蓮正宗に出会うんです。当時、堀米尊師が中野の歓喜寮という
お寺ではない、出張所をつくられていたんです。

この堀米尊師は、早稲田大学で哲学を勉強されていて、これからの仏教は、
寺仏教ではもう何の貢献もできない。だから、在家の人たちが活躍できる在家仏教、
そういう宗教運動を起こしていかなければならないという危機意識で歓喜寮を
作られたんです。

その堀米尊師と牧口先生が出会ったものですから、いわゆる在家仏教運動と、
牧口先生の創価教育学とが丁度合致したわけです。そこから、人間主義の
宗教運動が始まったんです。
しかし、宗門側から見れば、これは、今までの宗門の伝統にはない運動です。
したがって、宗門から見れば、最初から、創価学会は「生意気だ」「信徒が大きな
顔をするな」というのがあったわけです。
これはまさに「村の文化」と「海の文化」の対立と言っても良いでしょう。
狸祭り事件とか今までにいろいろありましたが、全部、淵源はこの元々の文化
の違いにあるんですね。
いよいよ、そのことが明確になったのが、現在の宗門問題が起こってからの、
今の創価学会と宗門の関係になっているわけなんです。そういう意味では、
起こるべくして起こった事と私は思っております。
実は、今まで話してきたことはこれから話したいことの前提なんです。非常に
長い前提で申し訳ないんですが、ここで、仏教の原点に戻って自分自身に
目を向けてみましょう。
今の自分に点数をつけるとすると、100点満点で何点くらいつけるでしょうかね。
ちょっと、考えてみて下さい。

0点から60点の間くらいに大体自分は入るなと思われる方、手をあげて下さい。
ありがとうございます。

じゃあ、 61点から99点までの間だと思われる方、手をあげて下さい。
この辺がふつう少ないんです。さっきの0点から60点までが非常に多いんです。
さすがドクター部は違いますね。
それでは、100点と思う方。お二人。ありがとうございます。このお二人以外は
全員信心していないことになるのはおわかりですか?

大聖人の仏法というのは先ほど図々しく、図太く、たくましくとありましたが、
自分を100点満点と見る宗教なんですね。これは非常にわかりにくい。
信心。信じる心と書きます。何を信じるか。御本尊ですね。また、法華経でしょう。
では、法華経を信じるというのはどういうことなのかと考えてみると、
自分自身が妙法の当体であると信じることですね。頭は妙、喉は法、胸は蓮、
腹は華、足は経。自分のこの生命が南無妙法蓮華経なんだと、妙法の当体なんだと
信じることが信心だと教学で学びましたね?とすると、自分自身を60点ということは、
南無妙法蓮華経如来を60点とつけることになってしまいます。

~一部略~
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by hakodate0711 | 2013-06-26 21:02 | 於保先生(ドクター部)指導