徒然なるままに書いてます

by hakodate07

海の文化と村の文化⑩ 於保哲外先生(ドクター部)指導

我々は「慈悲のドクター部たれ」と指針をいただいています。
私はこの「慈悲」について、ずっと解ったようで解らなかったんです。
「慈しむ」、これはわかる気がする。しかし、「悲しむ」がよく解らない。
一緒に悲しむとか、同苦するとか、同情するとか、解ったようでわからない。
そんな時に、池田先生のエッセーの中の次のような意味の一節を目にしました。
「魂の勝利する時、悲しみは『慈悲』の『悲』となる」。

これを見て、気づいたんです。今までは、「慈悲」を「慈しみ、悲しむ」と読んで
いたんです。そう読むからわからなかったんですね。素直に、漢文読みすると
返り点がついて、「悲しみを慈しむ」となるんですね。

すなわち、一番落ち込んでいる自分、一番惨めな境遇に苦しんでいる自分、
また、一番不安がっている自分をこそ大きな心で包んであげる。
温かい目で見守ってあげる。それが「悲しみを慈しむ心」すなわち「慈悲」であると。
 
最悪の時に、自分をその慈悲の心で包む。そこに魂の勝利の姿がある。
その生命で自分を包める人は、もう悲しみは単なる悲しみではない。
慈悲の心に包まれたその悲しみは、そのままで、勇気に転ずるであろう。
また、絶望は希望へと転じていくだろう。その生き方の中に本当の意味での
人間の魂の勝利の生き方がある。

そういう心で自分を包める人は、また、絶望に苦しんでいる人を我が事のように、
温かい心で包んであげられるでしょう。でも落ち込んだ自分を、こんな自分は
情けないと嫌う人は、そこから立ち直った後で、同じように落ち込んだ人を見ると
「かわいそうに」とは思うでしょうが、心の奥底では、「弱い人だな、自分に負けて
だらしない人だな」と見るでしょう。

自分を見る目が他の人を見る目なんです。したがって、最悪の自分を慈悲の心
で「大好き!」と大きく包みながら、「偉大なんだ」と本当に尊敬できる人は、
また、他の人をも尊敬できていくんです。
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by hakodate0711 | 2013-06-26 21:20 | 於保先生(ドクター部)指導