辻副会長の指導(要旨)②

辻副会長の指導(要旨)②

御本尊からすれば出してあげたい功徳の100%を頂いているかどうか、
おそらく皆はその10%から20%で終わっているのではないかと思う。
そんな状態では、大きな宿命に負けてしまう。
 何故、御本尊に題目をあげれば功徳があるのか、また題目をあげる、
その題目が、病気のためにあげたなら、その病気にしか効かない。また、
商売のためにあげたなら、その商売だけにしか効かない。
 そんなことはない。御本尊は私と同じ生命にしてあげようとおっしゃっている。

「我が如く等しくして異ならしむること無けん・・・如我等無異」とある。
「御本尊様、あなたと同じ命を私にも顕わせて頂けるのですか」と、感謝して
題目をあげていくべきだ。題目をあげていけば、我が身、南無妙法蓮華経に
なるのだ。

 「皆成仏道の法華経と久遠實成の釈尊と我等衆生、全く差別なしと悟りて
南無妙法蓮華経と唱うるところを生死一大事の血脈とは言うなり」とあるで
はないか。それを本当かなと思ったり疑えば、自分と御本尊は、もう離れている。

 差別ありとしているから血脈がうすい。したがって功徳も少なくなるのだ。

「此の御本尊全くよそに求むることなかれ、只我等衆生の法華経を持ちて
南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におわしますなり」と、我々自身の中に
南無妙法蓮華経があるのだ。
 しかし、その南無妙法蓮華経は、なかなか出てこない。出せない。出せない
から凡夫というのだ。では、どうすれば出るのか、それは声で出すのだ。
桜の花を見て「綺麗だなあ」、月を見て、「いい月だなあ」、また、ゴキブリを見て
「いやだなあ」、と思うのも目で見る事によって、そうした生命が出るし、感じるのだ。
 いい音楽を聞いて、「ああいいなあ」、また、会長のテープを聞いて感激し決意する。
これは耳を通してそうなるのだ。 
 御本尊に対しては、声で関係するのです。即ち南無妙法蓮華経と声を出して
唱える事によって、我が身の仏性が涌現するのだ。
「声仏事を為す」とある。題目をあげていけば仏性が涌現するのだ。爆発するのだ。
 詐欺や泥棒に会えば、この野郎という命が爆発する。悩みの命が爆発すれば、
自殺もする。仏の生命や貧乏の悩み等、全て解決するのだ。
 何故なら「いかなる病、障りをなすべきや」とあるではないか。
 貧乏は「幸を万里の外より集むべし」とある。「自我得仏来」だ。
 そのためには、いい加減な題目ではダメだ。誰かが与えてくれるだろうと思うのは
間違いだ。それなら「他我得仏来」になる。そんなものではない。

 
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by hakodate0711 | 2013-08-13 22:00 | 辻副会長