愚人に褒められたるは、第一のはぢなり~歴代会長の教え~

皆様、こんばんは
大阪ストラット②等色々書きたいことがあるのですが
頭がまとまらず、困っております(汗)
今日「笑っていいとも!」が来年3月に終了の発表がありましたね・・・・
ビックリしました、そしてなんだか寂しいです
一昨日も笑点の大喜利コーナーにおいて
最初から回答者全員、座布団0枚で板の間に座り、歌丸師匠は
座布団を誰の回答にも座布団を与えずそのまま座布団0枚で終了・・・・
山田君の仕事は自己紹介と小道具のカツラを配っただけ・・・・・
こちらの笑点48年始まって以来珍事にも衝撃を受けておりました(大汗)

それは置いておいて、今日は、ちょっとこちらの御文を・・・・

  愚人に褒められたるは、第一のはぢなり
(ぐにん)(ほ)

(開目抄 237ページ)

(通解)
愚人にほめられることは最大の恥です。

「本物の信心」とは何か。当然、さまざまな次元から論ずることができるが
ここでは、牧口先生がつねづね言われていた一点を述べておきたい。
それは、日蓮大聖人の本物の門下であるか。大聖人の御聖訓どおりの
行動であるかどうかという点である。
大聖人は「開目抄」で「愚人にほめられることが、第一の恥である」と仰せである。
牧口先生は、この御文を敷衍(ふえん)されて、
「愚人に憎まれたるは第一の光栄なり」と言われていた。

つまり、 ”愚人にほめられたい、名声を得たいと世間的な名誉を求められている
ようでは、本物ではない。むしろ、仏法のことで愚人から憎まれ非難を
受けることは、最高の光栄なのである。その人こそ「本物の信心」の人である”
と教えられたのである。

これを受けて、戸田先生は、草創の青年部に与えられた「青年訓」で
「愚人にほむらるるは、智者の恥辱なり。大聖にほむらるるは、一生の
名誉なり」と呼びかけられたわけである。
世間の風評やいわれなき非難に負けてはならない。むしろ信心ゆえの
非難、中傷こそ、わが人生の栄誉との気概で、悠々と進みぬいて
いただきたい。そこに本物の信仰者としての生き方がある。
1989年11月12日のスピーチより
輝きの人間世紀へ 御書とその心 池田大作 から抜粋


私、昔から写真週刊誌、ゴシップ誌等の所謂マスゴミが大嫌いです(怒)
そして、某ちゃんねるとか悪質なネットの情報、アンチブログ、悪質な噂、
陰口等に対しても、また、然りです。
結局こういう人たちって結局「自分が正しい、相手が悪くて間違ってる」
という一方的傲慢かつ怨嫉の生命の塊だと思うんですね
それを一喝した指導として出会った御文です。
こちらを読まれていらっしゃる方、各々立場はあると思います。
生きてる中で、いわれなき誹謗中傷され苦境に立たされたときには
この指導を思い出し、胸を張ってください。
今は、攻撃してくる相手に何もおこらないように見えても、
必ず、因果の理法のもと裁かれていきますから。
それこそ、「やったら、やり返される、因果応報だ!」です
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by hakodate0711 | 2013-10-22 23:20 | 御書