苦行は無駄!釈尊に学ぼう!

皆様、お疲れ様です。
多々コメント頂きありがとうございます。
コメントの返答は、少しずつさせて頂きます<(_ _)>

さて、創価新報でまっとふくしまさんの「まっと君の法華経ツアー」が
連載されてから、釈尊、舎利弗等について勉強しております。
それを通し「他宗」に対し多々思うことがあります。
その中の一つの「苦行」について、かなり物申したいことが・・・・
よく「滝行」「千日回峰の堂入り」等の「苦行」を見ると、
情けないというか非常に哀れだと思うのです。
ここで、何故、このような苦行がダメなのか、
今日は、釈尊から学んでいきましょう。

若き釈尊は、「生老病死」という人間にとって根源的な苦悩を、
いかにすれば解決できるか、という大きな疑問を抱き、
一説によれば十九歳の時に出家しました。
そして、種々の思想家たちに学び、さまざまな「苦行」にも励んで自らの肉体を
痛めつけましたが、得るものはありませんでした。
やがて釈尊は、ガヤ(俄耶)という街の郊外の木の下で、一人、瞑想を続け、
悟りを阻もうとする「魔」の働きと戦いながら、ついに「永遠の生命の法」を
自身の内に見ました。一説に三十歳の時です。
この法とは、“宇宙と生命を貫く根源の法”です。仏教は、この宇宙根源の法が
自身の生命の中に内在していると説く点に、大きな特徴があります。
また、釈尊はブッダとも呼ばれていますが、「ブッダ」とは、
「(真理に)目覚めた人」という意味です。釈尊は、宇宙と生命を貫く
根本の法に目覚めたので「ブッダ」と讃えられたのです。
このブッダの音を中国では漢字で「仏陀」と写し、日本語では「ほとけ」となりました。
仏法とは、仏が悟った法であるとともに、万人をブッダ(仏)にする法でもあります。
つまり、釈尊が悟り、万人の胸中に秘められた「生命の法」にあらゆる人々を
目覚めさせて、根本の苦悩を解決するための法です。
釈尊はまず、当時の文化・宗教の中心地であった波羅奈国(現在のバラナシ〈ベナレス〉)
へ赴き、郊外の鹿野苑(現在のサールナート)で、最初の説法を行います。
釈尊は、出家在家、老若男女を問わず、分け隔てなく仏法を語り弘めましたが、
これは画期的なことでした。
当時のインドの思想家たちは、弟子となった人にだけ教えを説くという秘密主義を
とるのが普通でした。釈尊は、そうした閉鎖性を打ち破り、万人の幸福のために、
“人間の中へ”飛びこんで仏法を説き始めたのです。

「釈尊」 SOKAnet 創価学会公式ネットより

釈尊が「苦行」だとか、閉鎖性を打ち破ってるのにのに、
今の他宗が、どれだけ時代を逆行し、仏法に反してるのだと思っております。
今の他宗ってどれだけ、派手なパフォーマンス、イベントをするかですよね・・・・
しかも「自分、無宗教」とか、「宗教に興味ない」「宗教、気持ち悪い」
とか言ってる人に限ってこういう宗教イベント大好きで、
簡単にいいカモになるんですよね、不思議な話です・・・・

学会員の中でもこういう、他宗や占い、迷信に対しての認識が甘かったり
する人が多くなってきているので非常に心配しております・・・・
実は、昔「占いは、いい結果のは信じてもいいんじゃない」と言った
私の友人(私とは比較にならないほどの活動家だった)は
ある日、突然、信心の表舞台から姿を消してしまいました・・・・
今思えば、あの時既に心に「魔」が潜んでいたのかと思うのです。
その経験があるため、私はこの手のことに非常に厳しいです!
「幽霊」や「葬儀」「自殺」「四箇の格言(真言亡国(しんごんぼうこく)、
禅天魔(ぜんてんま)、念仏無間(ねんぶつむけん)、
律国賊(りつこくぞく))の他宗について」等についても語っていきたいです。


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by hakodate0711 | 2015-10-25 17:13 | 日顕宗(悪)僕滅