「悪」を許したり、何もしない人間も「悪」

皆様、お疲れ様です。
相変わらずパタパタしてます、朝から、ポッキー、アイス、桜餅、チョコ・・・と
糖分補給に余念がありません(笑)
さて、今日は先生の指導を・・・・

「悪に対して何も言わない。破折しない。
それでは、魔をかばうことになる。己心の魔に負けているのだ。」
「三・一六 五十周年記念協議会」2008年3月11日より

悪を許したり、見逃したりすることは、「悪」なんですね。
「悪」は、日顕等だけでないです。
友達の泥沼不倫を見逃してた人が、自分に恋人できた時
その恋人に散々浮気されて泣かされてた人の話を聞き
この場合「因果が巡ってきた」と思いました。
「人の不幸の上に、幸せを築こうとしてる」人間を庇ったり、
見逃したりしたら、やっぱり同罪の「悪」です。
よく「愛は許すこと」と言う人がおりますが、悪事を働いてる人間は
「生命変わらなければ、またやる」ので、間違いなくこれからも人に迷惑をかけます。
その悪事をした人も、許した人も、先にも書いた通り「因果の理法」で
裁かれますので、「皆、不幸になれ!」と言ってるようにしか聞こえません。
これは「魔の所業」だと思ってます。

つい先日の同時中継において、原田会長が96年6月カストロ国家評議会議長と
池田先生が会談したときの話をしておりました。
池田先生がカストロ国家評議会議長に対しても明快に答えていたことを語り
先生が、その時の心境を
「あるいは議長を不快にさえるかもしれなかった。それなら、それでも、よかった。
正しいと信ずることを相手に言わない友情は、にせものだからである。
私は議長を信じていた。民衆への議長の愛情を信じていた」
綴っていたと語っておりました。
これこそ、本当の「慈悲」です!

ただ、それが過去の行いで取り返しつかなかったり、
人間関係上、言動に移せなかったり等は多々あります。
そういう時、どうすればいいかと言えば、「祈る」のです。
ご本尊様に「あの人、こういうことしたら、その人も周りも不幸になります、
どうか、どうか助けてください」「あの人を更生させて、成長させてください」と
「慈悲の祈り」です。(関連記事 変わらない人はいない
そうすれば、皆、幸せです。世界平和の一歩です!

日顕については、散々、先生や学会が尽くしてきた
「破門」という「仇」の形で返してきた「忘恩の輩」の「悪」なので、
もう「撲滅」しか方法はございませんので、皆様、そこはお忘れなく
宜しくお願いします<(_ _)>




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by hakodate0711 | 2016-03-06 17:55 | 日顕宗(悪)僕滅