福運を消してしまう行為① うっかり、謗法してませんか? 

皆様、お疲れ様です。
4月に入って、はじめての更新となります(汗)

さて、今日は福運を消してしまう行為についてです。
パッと思いつくのは、当ブログであげております「愚痴・文句・怨嫉」
(詳細は、愚痴と文句と怨嫉は厳禁 参照)です。
それ以外にも福運を無くしている行為があり、以前ここで書いた占い等に頼る行為
占いと不信の関係 参照)があると思います。
その他であげる一つに「うっかり謗法」(勝手に名前付けました)というのがあります。
学会の方でも、特に壮年の方に多い傾向なのですが、あまり考えずに「他宗」特に「禅」
の格言を堂々と使っちゃったりする人がいます(大汗)
そういうのを見たり、聞いたりすると「それ福運消してるよ・・・」と思います。
いずれ、ちゃんと書く予定ですが、「禅」は「四箇の格言」(しかのかくげん)
でいうところの「禅天魔」(ぜんてんま)と言われております。
そして、河合師範の指導にあった「禅」のちょっとした話を引用させて頂きます。

前の第六東京井上男子部長(当時)の井上県長が島根県にいったでしょ。
そこで、謗法厳禁とやかましくいったんです。そこの、大B長、大B担(当時)
のお店の名前がダルマ食堂といっていた。長年ダルマ食堂で来たわけです。
そこの、大B長、大B担が「ダルマ食堂」って謗法でしょうかと、井上県長に
指導を受けに来た。そして、井上県長から私(河合師範)のところに電話が
かかってきたんです。「ダルマ食堂」って謗法でしょうかと。「ダルマ食堂」って
名前そのものを拝むわけではないから謗法とは言えないかもしれないけれど、
でも、邪宗の教祖の名前をつけることはないでしょ。「弘法食堂とか、
法然食堂とか名前をつけるか」とかつけますか?。それと、おんなじ事です
から、それで、井上県長(当時)が「大福食堂」と名前をつけてあげたそうです。
ダルマというのは、行き詰まっている姿ですからね。手も足も出ないんですから、
縁起のいいものではないんですよ!。

(当ブログ 河合師範御書講義⑤

こうやって、河合師範の指導を改めて読むと「禅」って手足が出ない行き詰りの
宗教なんですね・・・
たまたま、耳にした禅の言葉で「善をも思わず悪をも思わず」って言葉があります。
「善悪、自他、左右、是非といった二元的な考えから脱却すること。」意味らしいの
ですが、「慈悲魔と申す魔・身に入って」(御書526頁)にある「慈悲魔」
(慈悲魔は衆生の心に一分の慈悲心があるのに乗じて、その心に取り入る。
あわれみの情をいたずらに募らせ、是非善悪の判断を狂わせます)の観点からしても
「悪に対して何も言わない。破折しない。それでは、魔をかばうことになる。
己心の魔に負けているのだ。」という池田先生の言葉からで検証していくと
禅という宗教が「自分、魔です」って自白してるような言葉です。
サスペンスドラマの犯人でも、2時間は「自分が犯人じゃない」って引っ張るのに、
それを、いきなり白状してしまっております(笑)
牧口先生も「よい事をしないのは悪いことをするのと、その結果においては同じである。」
という言葉もございます。
こうやって書いていくと、本当に日本の「事なかれ主義」という「悪」を作りあげたのは
この「禅」の「魔」のせいだったではないかと考えてます。
そして、そんな「禅」の言葉を有り難がって使うとになると、「魔」の思想を広めることに
なるので完全に謗法になちゃってると思うのです。
「しまった、やっちゃいました」等と思ってる人は、河合師範の指導の受け売りに
なりますが、考えをしっかり改めて命の重心重くして、祈って福運積んでいきましょう!
命の重心を重くすれば「ダルマ」ではなくて何度も立ち上がれる「起き上がりこぼし」
になるのです。
せっかく毎日積み重ねてきた福運です、消したら、勿体ないですよ!
福運は大事にしましょう!

尚、境涯革命五原則の案内のところで書かせて頂きましたが、多忙のため
しばらくコメントの受け付けはお休みさせて頂きます<(_ _)>

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by hakodate0711 | 2016-04-10 10:40 | 河合師範