2013年 07月 16日 ( 3 )

慈悲魔とは

情に厚く、慈悲深い心を、俗に「ほとけ心」とたたえる。が仏法では、その人情、
慈悲心につけいる魔があることを教えている。
 その名を「慈悲魔」首楞厳経(しゅりょうごんきょう)に説かれるこの魔、衆生の
心に一分の慈悲心があるのに乗じて、その心に取り入る。あわれみの情を
いたずらに募らせ、是非善悪の判断を狂わせる。

 日蓮大聖人は、かの極楽寺良観など当時の小乗を弘める法師を
「慈悲魔と申す魔・身に入って」(御書526頁)と喝破されている。
 良観が道路を開き、橋をかけ医療施設設けるなどの社会事業をおこし、
当時、世間の尊敬を集めていた事は、あまりにも有名である。   
しかし事実は幕府の権力者と結託し、関所や木戸を設置しそこで関米や
人別の銭を賦課した。
 庶民からしぼり取った金で社会事業を行い、世間の名声を得る一方で、
また私財を蓄えていた。

 慈悲等の行為を通じて、人々の慈悲心に訴え渇抑の心を起こさせる。
 一見「善」に見えながら、小乗に執着させて成仏の大法に背かせるがゆえに、
その本質は正法破壊の「極悪」。まさに「魔」の働きにほかならない。
 広宣流布とは、仏と魔の間断なき戦いである。

 ここでは慈悲や人情も、その為に正法を見失えば敗北の因となる。
ゆえに正法正義への厳格な判断が肝要になる。正法破壊の魔とは徹底して戦う----
この強靭な一念に護法の功徳も生まれてくる。”魔を能く破る勇気”ーーーー
ここにこそ、真の仏心がある事を忘れまい。

(参考文献:仏法の見方考え方)


 「日顕宗なんて相手にするな。彼らはだまされて可哀想だ。
聖教新聞の座談会であそこまで叩くのはどうかと思う」と言うのはまさしく「慈悲魔」に
おかされた姿に他ならないであろう。
 しかし、その魔に誑かされていると言うのは、なかなか本人は気付かないものである。
 だからこそ「紛然(まぎらわしく)と競い起こる」というのであろう。ここでは正法正義への
厳格な判断が肝要であると言われている。
 そしてその判断基準は個人の経験や考えではない。あくまでも「先生のご指導」であり
「御書」を判断基準としなければならない事は言うまでもない。

とここまで指導を抜粋させて頂きましたが
これ本当とか思われる方いるかもしれませんが、
「慈悲魔」って「仏教哲学大辞典」にちゃんと載ってるんですよ
私、調べて驚きましたから
日顕宗とは、また関係のない話なんですが、私が昔読んだ本に
アフリカのある貧しい国にドンドン支援していったらその国の人たちが
支援をあてにして全く働かなくなってしまったというのがありました。
慈悲もまた、与える相手ややり方を間違えば恐ろしい大きな魔になってしまいます。
そのために、上記の指導にある通り「先生のご指導」であり、「御書」を判断基準に
しなければならないのです。
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by hakodate0711 | 2013-07-16 22:57 | 日顕宗(悪)僕滅

誤れる「仏ごころ」

かつて、ある新聞紙上に、数人の作家が信教における寛容について、
仏教、キリスト教それぞれの立場から自説を述べていた。
 仏教徒である一人は「仏ごころ」について言及し「なにがあろうと怒ることなく、
すべてを受け入れる寛容の精神である」として「週刊誌などで批判されている
他者を批判する仏教者は、まだ修行が足りない」などという意味のことを述べていた。
 実はわが国では本来「仏の慈悲深い心」である「仏ごころ」が、ともすれば情に流され
易い「情け心」「すべてを受け入れる寛容の精神」といった意味で用いられてきた。

 しかし、これは「仏ごころ」---慈悲のはき違えも甚だしいもの、と言えよう。
 か つて仏教を広く西洋に伝えた仏教学者はこう述べている。
「差別面、分別面ではあくまでも正しく自分を押し立てて動かず、邪に対しては断固として
闘ふのが仏教である。この自主性を失っては仏教はないのである」
 詳しい論議はおくとして「仏ごころ」とは、一面、決して悪を許さぬ峻厳な心なのである。

 第二次世界大戦中、軍部に迎合して怨敵退散の名目で祈祷を行ったにもかかわらず、
戦後何の反省もしない信念なき僧侶たち。彼らの言も自らの責任を逃れるために、
誤った「仏ごころ」を強調したものだ。

 これに連なった日顕宗の僧侶たちも、過去の所業をひた隠しにして、あたかも仏のように
振舞おうとしているが、次々と真実が明るみに出たのである。
 私達は誤った「仏ごころ」を排除し、邪悪に対しては断固として闘う毎日でありたい。

(参考文献:仏法の見方考え方)
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by hakodate0711 | 2013-07-16 22:37 | 日顕宗(悪)僕滅

妙法の日~ 「誤れる仏心・慈悲魔」プロローグ~

皆様、こんばんは
今日が休み明けの方も多かったことだと思います
さて、今日7月16日はと言うと

今から753年前の1260年(文応元年)
日蓮大聖人が時の最高権力者である北条時頼に「立正安国論」を提出しました。
権力者に対し、過ちや悪い点を指摘し、改めるように忠告し民衆の安穏の実現に
向かわれた日であります。

今から53年前の1960年(昭和35年)
池田名誉会長がアメリカの施政権下だった沖縄を立正安国の模範の天地に
するために初訪問した日です。
「沖縄が世界のどこよりも幸せになった時、この宿命転換の法である日蓮大聖人
の仏法を世界の人に証明することができる。だから私は沖縄にかける。」と
名誉会長は仰いました

今から23年前の1991年(平成2年)日顕が「C作戦」たて
創価学会を切って広宣流布を辞めると決めた日です

7月16日とは、これらの出来事が起こった不思議な日なのです。
不思議だから「妙法」、いわば今日は「妙法の日」なのかもしれません。
しかし、こうやって書いてると、日蓮大聖人や池田先生が、国を憂い、
平和を願い、広宣流布の為に尽くすと決めた日に
学会を切って広宣流布を辞めると決めたところにどれだけ、
日顕が愚かなのかを考えると怒りを通り越してあきれ返ってきます。

私、色んな坊さん見るのですが、皆金持ってますね(笑)
あれ、どっから出てくるんでしょう、疑問でなりません(苦笑)
人の為に尽くさず、人を馬鹿にして、人からの真心のご供養で贅沢してる人間に
対して「ここまで言って可哀そうだ」「やりすぎじゃないか」とか言ってる方のために
今日、この日にこれから「誤れる仏心・慈悲魔」について語っていきたいと思います。
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by hakodate0711 | 2013-07-16 22:32 | 日顕宗(悪)僕滅


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