なぜ、日顕宗(極悪)撲滅しなければならないのか?⑥ 退転への道

皆様、こんばんは
今日も一日お疲れ様です。
今日の函館は、暑い中お過ごしの全国の皆様に
非常に申し訳ないぐらいに涼しく過ごしやすかったです。
私、今日は(「も」じゃないのか?)ダラダラ過ごしておりました(笑)
手前味噌で恐縮ですが、夏の函館は良いですよ(笑)

当ブログでは、日顕撲滅を訴えておりますが、
それでも、まだ「怖い~」「そこまでやらなくても」と言ってる方に
以前書いたものと少し被りますが、この指導を一つ

「信心とは魔との戦いである。信心が弱まれば必ず、魔は勢いを増(ま)す。
ひいては信心が破られてしまう。『外から襲(おそ)ってくる魔』と戦うことは、
そのまま『自身の内なる魔』との戦いなのである。それなくてい、広布の前進も、
自身の一生成仏もない。魔との戦いを失った信心は、結局、観念論に陥って
しまうし、御聖訓(ごせいくん)通りの仏道修行とはいえない」(88・4・22)と
指導されているように、外から信心を破ろうとして襲ってくる「魔」と
戦うことは、同時に、「自分自身の内(うち)なる魔(己心(こしん)の魔)」との
戦いになるのです。
 魔との戦いを、「なにも、そこまでやらなくても」などと思うことは、魔に妥協
する心が、働いたからで、それは「己心の魔」に負けたのです。そのことから、
学会不信となり、信心が弱くなるので功徳を受けられなくなって、ご本尊不信へと
進んでいき、退転(たいてん)への道を歩むことになってしまいます。
ですから、魔を「奪功徳者(だつくどくしゃ)(功徳を奪う者)」というのです。
 大聖人が、「謗法(ほうぼう)を責(せ)めずして成仏を願(ねが)はば火の中に
水を求め水の中に火を尋(たず)ぬるが如(ごと)くなるべしはかなし・はかなし」
(御書1056ページ)と仰せのように、謗法(ほうぼう)を責める心を失った
信心では、絶対に成仏できないことを知らなければなりません。
(暗黒の富士宗門史 日顕宗の淵源を切る  河合 一より)

簡単に言ってしまえば、「日顕撲滅を祈らない=退転への道」ということでしょう。

信心ふかきものも 法華経の かたきをばせめず、いかなる大 善 を
   (深)     (ほけきょう)(敵)    (責)       (だいぜん)
つくり法華経を 千万部    読み 書 写し  一 念 三 千の  観 道を
         (せんまんぶ)(よ)(しょしゃ) (いちねんさんぜん)(かんどう)
 得たる 人なりとも法華経の 敵 をだにも・せめざれば 得 道ありがたし
(え)  (ひと)        (かたき)     (責)    (とくどう)   

(南条兵衛七郎殿御書  1494ページ)
(なんじょうひょうえしちろうどのごしょ)

(通解)
どんなに大善をつくり、法華経を千万部読み、書写し、一念三千の観心の道を
得た人であっても法華経の敵を責めなければ成仏はできない。

何度も引用してるこの御書法華経の敵と戦わない者については
成仏できないとあります。功徳も勿論受けられないでしょう。
「私、脱会しました」というような人の話を見たり、聞いたりすると、
不思議に共通点があるんです。
その人達は一様に「日顕(極悪)撲滅」に疑問を抱き、学会不信になり
功徳を受けれず、ご本尊不信となり、人生の坂道を転がっていってるんですね。
びっくりするほど、御書や河合師範の指導通りだなと思いました。
そして、そういう人こそ「自分は正しい」「自分って可哀そう」と自分に
酔っちゃってるんですね。
そして、ネチネチと周りに愚痴るんです。
本当に自分に酔った困った酔っ払いです。
酔いが醒めたときに自分のしでかしたことの重大さに気付くのでしょうけど・・・・
皆様、たくさん功徳受けたい場合、「悪を責める」ことが大事です。
そして、最近ネットに蔓延るそいういう「酔っ払い」の愚痴にはご注意を!
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by hakodate0711 | 2014-07-27 21:29 | 日顕宗(悪)僕滅