「信心のおかげ」はあっても「信心のせい」なんていうことはない

皆様、お疲れ様です。
私、繁忙期でヘロヘロしておりました。
今日、会社で外出先をホワイトボードに書く時「ネバーランド」って
書きました(汗)
すぐに消しましたが、書いててビックリしました(大汗)
物凄い現実逃避です・・・
ネバーランドに行きたいとかでなく来月、見に行く舞台でして(大汗)
あと、明治座も行く予定です・・・・
今は、これらを心の支えにしております。

さて、一昨日車を運転中に
「私、信心してなかったら、どんな人生を送ってるんだろう?」と
いう疑問が湧きました。
その後、お題目をあげていた時「どう考えてみても、今の職場も、
家庭環境も、辿ってきた進路、出会い等も得られていない」と
考えておりました。
深く考えていった時に、母は福運で父(当時は未入信)と出会い
結婚したようなものなので、二人が巡り逢ってくれるのかと
いう疑問も湧くのです・・・・
最終的に「信心なしで私は存在しない」という結論に至り
「信心のおかげでこうしているんだな」と思いました。
これから、もっと報恩感謝の祈りを強めて行きます。

ブログを読まれてる皆様、経験あるかもしれませんが
私自身、信心して仏法対話等している中で、人から嫌がられたり、
人が去っていった経験あります。
しかし、これらの人達は私が信心してなくても別の問題が起きて
あっさり去っていくのだなと思っております。
冷たい言い方にはなりますが、
「信心で、これからの自分の人生、必要か否かをふるいにかけたんだな」と
思っております。
「信心のせいで」起こる問題なんてありません。
そういう問題は、信心や学会のことが無くても別のことが原因で
その人の人生に起こった問題でしょう。
例え「信心のせいで」起こる問題が起こったとしても境涯革命五原則の
「二、世法で苦労すれば苦しみが残る・信心で苦労すれば喜びと福運が残る。」
になるので必ずもっといい結果が生まれるためなのです。
先日の「悪口をいわれるたびに、罪が消えて功徳が増す  戸田先生の質問会より」
にも言えることです。
「信心のおかげ」はあっても「信心のせい」なんていうことはないのです。






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by hakodate0711 | 2015-02-18 22:10 | 私の体験談