皆様、お疲れ様です。
大雨の水害被害に遭われた方お見舞い申し上げます。
自衛隊、救助隊等救助、救援に立ち向かわれてる方々、
本当にお疲れ様です。

またまた、間が空いてしましましたが・・・・
退転したわけでもなくまたまた仕事に学会に趣味に
慌ただしく過ごしてました!
特に、また開始したイラストの勉強の方に時間を
割いておりました・・・・

さて、今日は「嫌いな人について祈る」です。
この検索ワードで当ブログに辿り着く方が多いので
今回またまた取り上げさせて頂きました。
皆様、「嫌いな人」「変な人」について祈るなんて
「納得できない(-_-;)」という気持ちあると思います。
私も、多々あり、毎日葛藤してます。
そのお悩みを軽くするため、今回は私が体験したある事例もあげて書きます。

かなり昔の話ですが、
函館の某所にとんでもなく迷惑をかけるオバちゃんがおりました・・・
具体的に書くとインターネットという世界において「あの人じゃないかな?」と
特定してくる人も出てくる可能性もあるので色々伏せますが、
まぁ、関わる人々ほぼ全員が多大な迷惑がかかり、中には心身を持ち崩すという
人まででる迷惑な人でした。
私も、心霊系のネタ等々多大に迷惑を被りました・・・
最後は、そのオバちゃんのお子さんが助からない病にかかり、
皆の目の前から姿を消すという
皆がなんだか「不幸」というバッドエンドを迎えました・・・

今こうやって思い起こすと仏法的に考えらせられること多々ある話です。

悪いことやってれば「因果の理法」で裁かれます。
自分に返るのなら、まだ納得は行きますが、大事なものに
返ってきたりすること多々あります。
そして「生命変わらない」と、またやり、裁かれます。
イタチごっごです。哀れな話です。
だから、変な人見たら「生命を変えて成長しますように」祈れと
言われてるのだと思います。

自分が嫌いな人、変だなと思う人は、やっぱりそれなりにその人に原因が
あるものなのですが、学会員の方は、慈悲魔につけ入れられるのか
「この人のことを嫌いなのは自分の汚い生命が・・・」と思い、
下手するとのその人の「悪」まで見過ごし、自分を責めてしまいがちです。

しかし、上記の例のように、自分がその人に対して同じように嫌う人や
もっとシャレにならない被害を被ってる人って意外に多いものです。
だから、嫌いな人、変な人の為にというより、
まず第一に、自分と自分と同じように被害を被って人の為に
「○○(嫌いな人)の生命が変って成長しますように」と
祈ってみてはいかがでしょうか?
別に、嫌いな人、変な人の為に頑張ろうと考えなくてもいいの
ではないでしょうか?

あと、「自分が変れば相手も変る」からと無理に頑張っていい子に
なろうとして心を疲れさせている人がいます。
嫌いな人の為に無理に自分を殺し変ろうと考えなくていいです。
祈ってるだけでいいのです。
祈った時点でだけで自分が変ってますから!

何度もあげさせてもらった河合師範の事例指導ですが

ある女子部から手紙がきました。
職場の嫌な同僚が辞めますようにって祈っていいかって聞いてきたことのある子です。
相手の成長を祈り始めると、その人が、ある朝の朝礼で突然号泣しながら
「もう人の嫌がることはしない」と言い出したそうです。
相手の成長を祈ったから相手が変わったんです。
みんな結構「あの人は変わらないよ」と思って祈らないもんです。

1998・2・14門真文化会館 河合師範の指導から抜粋

これで良いのです!



関連記事
カテゴリ「怨嫉の話」
カテゴリ「因果の理法」
慈悲魔







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by hakodate0711 | 2017-07-09 18:24 | 怨嫉の話

皆様、お疲れ様です。
近所のスーパーの関西フェアで買った「みっくちゅじゅーちゅ」を
飲みながら先月の大阪ライブの余韻に浸っております。
今日は、このブログでは、珍しく、昨日に引き続き連日の更新です。
実は、昨日の記事より先にこの記事の方が大元は出来上がっておりました。

さて、色々と「怨嫉」について語っておりますが、
「怨嫉する方」は罰を受けるけど、「怨嫉される方」が何をしてもいい
なんて思っている方がいたとしたら大変なことになるという
懸念がございまして、今日は、これらの指導を紹介させて頂きます。

正しくても怨嫉した方が罰を受ける。させた方ではなく、した方に罰が出る。
そう御書に書いてある。「それが本当でも嘘でも」と書いてある。
怨嫉する理由が何であっても、同志であれば功徳はマイナスになって出てくる。
相手が間違っていれば、相手は因果の理法で裁かれる。人が裁くのではない。法が裁く。

河合師範 「信心の基本を学ぶ」② より

「怨嫉する方」が罰を受けるのは当然ですが、
「怨嫉される方」に間違いがあれば、これは別で「因果の理法」で裁かれます。
悪事、非常識、迷惑行為、「他人不幸の上に自分の幸せを築く」行為、
悪を見逃したりする行為をすれば「因果の理法」で裁かれます。

では、仏法を持ってない人から恨まれたり等したときにはどうなるか・・・

広宣流布の闘士である皆様方を侮辱し迫害する者は
「豈大悪人(あにだいあくにん)に非(あら)ずや」であり、
仏罰も厳然である。御本仏が御断言です。
池田名誉会長 「御書と師弟」 第6回 仏の未来記より

やはり、仏法者に対して馬鹿にする等した場合は仏罰があたることが
明記されております。
こちらの指導には、特に、明記してはおりませんが、
先程の河合師範の指導から考えると、仏法者と言えども、仏法を持ってない人に
悪事、非常識、迷惑行為、「他人不幸の上に自分の幸せを築く」行為、
悪を見逃したりする行為等の「間違い」を犯した人間は「因果の理法」
において裁かれます。

しかも、このような行為を改められない人は、「仏」になれず、
最後は「法華経の敵」になってるパターンが多いです。
今までの退転者を見てると、借金、異性問題等の問題行動を改められず、
結局、退転し、最終的に学会を逆恨みして「法華経の敵」となって立ち
はだかってますよね。
そして、最後の最後には惨めな末路を迎えております。

また、「間違い」が、法を弘めるどころか法を下げてしまいます。
この「法を下げる」については別の機会にお話させて頂きます。
皆様、言われるまでもないですが、仏法者は広宣流布の為に、
周囲に誇れる行動をして頂けるようお願い致します。

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by hakodate0711 | 2016-10-10 20:02 | 怨嫉の話

皆様、お疲れ様です。
またまた、間が開いてしまいましたが、生きてます!
梅田の地下迷宮を徘徊し、カップルだらけの観覧車にあきらめ
(おひとり様で、40分待ちはきついので)、松村さんライブ
行ったりの大阪強行突破ツアーを繰り広げたり、
函館開催のニコニコ町会議に参加したりしておりました。

さて、今日は、先日の池田先生のご指導において追記したい部分が
ございますので、まずは、指導の復習を・・・

「-しかし、互いに人間である。嫌いな幹部もいるかもしれない。
いやな人もいるかもしれない。それらを好きになれといっても、
無理な場合もあるだろう。嫌いでもいいと思う。
好き、嫌いと怨嫉とは違う。嫌いだから信心の話も聞かず、
信心のための一緒の行動もやらぬというのが怨嫉である」
(「指導の泉」95ページ 和泉覚著より )
※和泉副会長が池田先生の指導を引用してるため

これだけ多くの学会員がいれば、社会に出て学会員同士が商売敵と
いうのも当たり前の話です。
同じ町内で同じ商売を営んでいたり、同業他社に務めていたり、
プロスポーツの場合、学会員同士で対決したりしてます。
それらを避けていたら人間社会生活が成り立ちません。
また、公表してない有名人の方で学会員と言う方も結構います。
そのため、嫌いな有名人が実は、学会員と言うパターンも意外と
多いと思います。
しかし、これらは「怨嫉」となるでしょうか?
違いますね。
この先生の指導は、そういうことも言われている指導だと私は思います。

尚、学会員じゃないから「怨嫉」にはあたらないといって、
「嫌い」だからと言って攻撃していいかというのも、それもまた違うと思います。
そういう行為が「法を下げる」行為になりかねませんのでご注意頂けるよう
お願い致します。

前回の更新後に、以前、こちらでご紹介させて頂きました
過去に囚われる必要はない~ある創価大学教授のお話~
加藤九祚(かとう きゅうぞう)先生がお亡くなりなられました。
ご冥福お祈りいたします。

関連記事
「怨嫉」と「嫌い」は違う

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by hakodate0711 | 2016-10-09 21:20 | 怨嫉の話

皆様、お疲れ様です。
秋ですね、季節に合わせて、こちらのブログも模様替えにしました。
しかし、台風の影響で玉ねぎ等の野菜が高くて卒倒しそうになりました・・・・
大阪では食い倒れる予定なのに・・・秋の味覚が・・・
その前に、台風で飛行機とか大丈夫かと多々心配事もあります・・・

さて、今日、皆様、お悩みの「怨嫉」についてです。
当ブログの検索ワードを確認していると「怨嫉」で悩まれてる方が
多いようなので、今日はこの話になりました。
「組織にどうしても好きになれない人がいる・・・」
「嫌いな人が、学会員だったんだけど、これは怨嫉になるのかな・・・」
「あの人は学会員だけど、どうしても生理的に受け付けない」等々
皆様あると思います。

ここで、まず「怨嫉」について復習・・・・
「怨嫉」とは、十四誹謗(松野殿御返事 御書1382ページ 
「教学の基礎」創価学会教学部編 324ページ)のうちの
正法信受している人を軽蔑する「軽善(きょうぜん)」、
正法信受している人を憎む「憎善(ぞうぜん)」、
正法信受している人を妬む「嫉善(しつぜん)」、
正法信受している人を恨む「恨善(こんぜん)」です。
日蓮大聖人は「松野殿御返事」のなかで、
「法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀(そし)りては罪を得る」
(松野殿御返事 御書1382頁)
と記されております。
怨嫉の「罰」は非常に厳しいです。

さて、池田先生のご指導を・・・・
「-しかし、互いに人間である。嫌いな幹部もいるかもしれない。
いやな人もいるかもしれない。それらを好きになれといっても、
無理な場合もあるだろう。嫌いでもいいと思う。
好き、嫌いと怨嫉とは違う。嫌いだから信心の話も聞かず、
信心のための一緒の行動もやらぬというのが怨嫉である」
(「指導の泉」95ページ 和泉覚著より )

会社でもそうですよね、「嫌い」だから一緒に仕事しない、
協力しない、妨害する、攻撃するなんて言語道断です。
会社が大恥をかきますし、信頼が失われます。
そんなことしてる社員は会社にいてもらっても大迷惑です。
「獅子身中(しししんちゅう)の虫」です。
「嫌いだな」と思っても、仕事は仕事ですからちゃんとしなければなりませんが
嫌いな人を無理に好きになる必要はないのです。
「会社」を「学会」、「仕事」を「信心」に置き換えれば、わかりやすいかと思います。
学会も世界に広まり、学会員の人も多くいますので、嫌いな人は絶対出てくると思います。
よく、「汚い生命が・・・」とか自己嫌悪される方もいると思いますが
人間それが普通で、嫌いな人がいないという人が奇特だと思いますので
自分を責めないでください。
「嫌い」なのではなく「自分とは相性があわない」と思えばいいのです。
世の中全部の人と相性が合う人はいませんから・・・

この先生の指導から、河合師範が
「人のことはほっとくか祈るか、どっちかしかない。
感情をぶつければ怨嫉になる。
御本尊に祈ってあげれば自分も相手も変わる。」
(詳細、当ブログ「人のことはほっとくか祈るか、どっちかしかない」参照)
と指導されたと思うのです。
先生や河合師範の指導を胸に刻み、信心は信心として
自分を追い詰めず楽しく信心していって
多くの福運を積めることを願っております。

関連記事
「怨嫉」の傾向と対策
人のことはほっとくか祈るか、どっちかしかない




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by hakodate0711 | 2016-09-11 19:40 | 怨嫉の話

皆様、お疲れ様です。
私、今週金曜日に東京で行われたライブに行けず、しんみり、切なく
過ごしておりました(泣)
今度は、北海道にも来てほしいものです・・・

最近コメント下さる方において、境涯革命五原則のところに載せている注意書きを
全く読まず、尚且つ「怨嫉」の命で愚痴、文句、揚げ足取りのコメントが
多くなって参りました。
すいませんが、「怨嫉」の書き込みは私の為にも、書き込みした方の為にも
何一ついいことないので、削除させて頂いております。
私は毎日、このように怨嫉している方が、可哀そうなので、ご本尊様に
「怨嫉してる方が、生命を変えて、更生して、より良く成長しますように」
と祈っております。
そして、「怨嫉している方が組織にちゃんとつけますように」と願っております。
怨嫉している方は大体組織についておりませんので・・・・
これは、「軽善(きょうぜん)」の生命があるからです。
「軽善」とは、正法信受している人を軽蔑することです。
そして、これは、十四誹謗(松野殿御返事 御書1382ページ 「教学の基礎」
創価学会教学部編 324ページ)の怨嫉に当たる部分です。
正法信受している人達に対して、軽蔑の命があるから組織につけないのです。
「どうせ、~だし」とか思ってるパターンが多いと思いますが
もし、そうならなおさら、「成長しますように、良くなるように」祈ればいいのです。
境涯革命五原則の「三、感情で対すれば怨嫉となる・題目で包容すれば成長出来る。」
ですから!

関連記事
 境涯革命五原則
「怨嫉」の傾向と対策
 河合師範 「信心の基本を学ぶ」②
 

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by hakodate0711 | 2015-09-27 22:43 | 怨嫉の話

「怨嫉」の傾向と対策

皆様、おはようございます。
夜、一度アップしましたが、大分足りないなと思った部分があったので
加筆して再アップました、長くなっております(汗)

昨日は、ラグビーW杯 日本が南アフリカに勝利!に
朝から「もんげ~!!!」(妖怪ウォッチ)と叫んだりしてました(笑)
(本当は、スクールウォーズネタを絡めながら、先にこちらを記事に
しようと思っておりました、こちらは、後日です。)
そして、座談会に出かけまして、為になる話を沢山聞けました。
そこで、「組織っていいなぁ」(「和風総本家」のナレーションで(笑))と
思いました。

さて、最近よく見聞する「怨嫉」について・・・・
自分の経験や、人の話等で組織から離れたり、信心が離れる、脱会者の傾向を見てると
「過去にやられたことが許せない」
「どうせ、こいつに言っても、何しても変わらないだろう」
「自分が正しい、相手が間違ってる」等と聞こえてきます。
言い分は多々あれど、「怨嫉」から信心を離れた人が多いような気がします。
ここで、怨嫉について復習を・・・

「怨嫉」とは、十四誹謗(松野殿御返事 御書1382ページ 
「教学の基礎」創価学会教学部編 324ページ)のうちの
正法信受している人を軽蔑する「軽善(きょうぜん)」、
正法信受している人を憎む「憎善(ぞうぜん)」、
正法信受している人を妬む「嫉善(しつぜん)」、
正法信受している人を恨む「恨善(こんぜん)」です。

「怨嫉」について新・人間革命において記されてる部分を・・・・

伸一は、厳しい口調で語っていった。
「『松野殿御返事』には、十四の法華経への誹謗(ひぼう)、つまり十四誹謗について
記(しる)されています。誹謗とは、”そしる”ことですが、そのうちにの最後の四つは、
軽善(きょうぜん)、憎善(ぞうぜん)、嫉善(しつぜん)、恨善(こんぜん)
といって人に対するものです。ご本尊を持つ人を、軽蔑したり、憎んだり、嫉妬したり
恨んだりすることです。一言(いちごん)すれば、同志への怨嫉(おんしつ)であり、
いがみ合いです。
 日蓮大聖人は、十四誹謗の罪は、極めて重いので、「怒(おそ)る可(べ)し怒す可し」
(御書1382ページ)と、戒められている。怨嫉というのは、自分の功徳、福運をけして
しまうだけでなく、広宣流布の組織を破壊していくことになる。だから怖いんです。
 皆が、心から団結できない。どうも、組織がすっきりまとまらない。皆、頑張っているのに
功徳を受けられないでいる―そうした組織をつぶさに見ていくと、必ず、怨嫉問題が潜んでいます」

  なぜ、ご本尊を持(たも)った人同士が、時には幹部同士が、怨嫉し合うことが生ずるのか。
  大聖人は、「十四誹謗も不信を以(もつ)て体(たい)と為(な)せり」(御書97ページ)
と御指摘になっている。
 皆が仏の使いであり、地涌の菩薩であることや、生命の因果の理法など、妙法を信じることが
できないところに、その根本的な要因があるのだ。

(新・人間革命26巻 「法旗」の章 159ページ~160ページ) 

「怨嫉」について河合師範の指導を・・・

正しくても怨嫉した方が罰を受ける。させた方ではなく、した方に罰が出る。
そう御書に書いてある。「それが本当でも嘘でも」と書いてある。
怨嫉する理由が何であっても、同志であれば功徳はマイナスになって出てくる。
相手が間違っていれば、相手は因果の理法で裁かれる。人が裁くのではない。
法が裁く。相手の成長を祈ってあげること。そうすれば自分も相手も良くなる。
「幹部のくせに」と言わないこと。変な幹部もいるが、成長を祈ってあげること。
「幹部のくせに」と言ったら怨嫉になる。

 正しくても怨嫉になってしまう。成長を祈ってあげれば相手は変わらなくても
自分は良くなる。相手がやるからこちらも怨嫉をやり返すことを『差し違え』と言う。
これもよくあるが、両方とも功徳が消えてしまう。人のために功徳を消してはつまらない。
人のことはほっとくか祈るか、どっちかしかない。感情をぶつければ怨嫉になる。
御本尊に祈ってあげれば自分も相手も変わる。

河合師範 「信心の基本を学ぶ」②より

「怨嫉」怖いですね~恐ろしいですね~
ここで、ありがちな怨嫉のループ例を
A(恨まれる人の仮名としてAさん)を恨む

自分の状況が悪くなる

こんなに、悪くなったのは、Aのせい、もっと恨む

ひょっとしたら「怨嫉かも」と気が付く

しかし、この悪くなり続けた状況、無駄にした時間をどうしたらいい?
Aにされたことより、恨んで失敗し続けたたことや無駄にした年月、
もう取り返しつかない・・・もう、戻れないと・・・

「怨嫉」地獄に陥ります。
そして、「怨嫉」と指摘しても頑なに「自分は正しい、相手が間違ってる」
「自分は、違う」と言い張って話が聞こえていないことも多いです。

Aが問題ある人なら「Aの生命が変って、良くなりますように、成長しますように」と
河合師範の指導通り、祈ればいいのです。
Aについて祈るのが辛ければ、Aのことをひとまず置いておく方法もありますが、
しかし、別な方法として「問題ある人を更生させて、成長しますように」と祈る方法です。
アレです、人参が嫌いで人参のサラダやグラッセが食べられないなら
「カレー」や「筑前煮」にして目立たないようにして、味を誤魔化して食べる
それでも食べれないなら摩り下ろして、混ぜ込んでハンバーグにして食べるような感覚です。
絶対に、この時Aを恨んだり、罰が下ったりするのを祈ったりしてはいけません、
あくまでも「良くなりますように、成長しますように」と祈るのです。
Aが間違っていて、治らない場合は、Aは因果の理法に裁かれますから。

無駄にしたと思ってる年月は取り戻せます。なぜなら・・・
「過去のことは振り返らないこと。良くなればいい。過去のことが活きてくるから。」
河合師範 「信心の基本を学ぶ」②より
「過去のことは振り返らないこと。良くなればいい。過去のことが活きてくるから。」
の方の例として、ウン年前に、今の業界に入り知識がゼロな上に、今までロクな社会人
経験がないという引け目を持っていた私に、あるお客さんは「逆に、経験がな方がいいんだわ、
変な癖がつくと面倒だから」と言ってくれました。
その人の思いやりもあったと思うのですが、実際、私が働く業界は本当に変な癖ががないほうが
やりやすいというのも事実です。
無駄や失敗も意外な成功に結びつくように動くのです。

怨嫉すると、自分は地獄の生命に陥り、周囲も変らずに余計に悪くなる、皆不幸・・・
逆に、「生命変わって、良くなりますように、成長しますように」と祈れば
自分は仏界、皆幸せ・・・・
さぁ、どちらを選びますか?

関連記事
河合師範 「信心の基本を学ぶ」②



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by hakodate0711 | 2015-09-21 06:59 | 怨嫉の話

皆様、お疲れ様です。
「南の島に雪が降る」の名古屋公演を見に行くため「安く、早く、快適」な
交通手段を考えております。
西村京太郎さんでも、このトラベルミステリーを解くことは至難の技だと
思います(笑)
昨年の函館釧路間の10時間(片道)列車移動もハードでしたが
東京から函館に帰る時に乗り継ぎに失敗し青森のフェリー乗り場で
一人で一夜を明かしたことがあり、一生忘れられない思い出です(笑)
ある時に、レンタカーを借り一人道北を走っていたのですが
「動物注意」の看板が北上するごとに
熊に注意→鹿に注意→牛に注意と変わっていった時になんだか
不安になって青褪めていきました・・・・
本当に北海道は広いです(汗)

さて、今日は、以前書いた「どうせ」という言葉なんてについて
以前、「どうせ自分なんて」は「どうせ仏なんて」と言ってるのと
同じということを書きましたが、これは他人に対して同様です。
「どうせ、できないんでしょ」「どうせやっても、~なんでしょう」と
言われたらどうでしょう?
腹立ちませんか?腹立つだけでなくて、やりたくなくなったり
やっても適当になってしまうと思います。
昔聞いた、河合師範の指導の中で小さな子供が親にものをねだる時
「『ママ―お願い』と可愛いから買ってあげたくなる
『どうせ、買ってくんないよね~』と言ったら買ってあげたくなる
「ご本尊ダメでしょうね」はダメです。」という指導(要旨)がありました。
他人に対しての「どうせ」もいけない言葉なのです。

関連記事
不信の言葉 「どうせ」①








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by hakodate0711 | 2015-05-17 20:06 | 怨嫉の話

皆様、お疲れ様です。
あと、数時間で3月も終わりで、もう4月ですね・・・
仕事、学会、氷川きよし特別公演、遠ざかるネバーランド等と私にとって
怒涛の3月でした(遠い目)
もう、1年の四分の一が終わって、平成26年度も終了・・・本当に早いものです・・・
東京の方は、桜が満開のようですが、函館の桜のはまだまだです・・・
おそらく、例年通り、4月の下旬に咲き始め、ゴールデンウィーク頃が満開かと
思いますので、「忙しくて桜を楽しめなかった」「もっと桜を愛でたい」等の方
是非、北海道にいらしゃってください(笑)

さて、先日、ある漫画を読んでいたら
「『どうせ』って言葉で楽しくなる人はいないからな
 『どうせ人間』は重い荷物しょわせて相手を一緒に沈めようしてるわけさ」
という言葉がありました。
すごい説得力のある言葉です。
でも、皆様、人生で結構「どうせ」という言葉使ってませんか?
「どうせ私なんて」という言葉は、「どうせ仏なんて」と言ってるのと同じことです。
この「どうせ」が、何故、謗法の言葉かは少しずつ書いていきます。






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by hakodate0711 | 2015-03-31 23:08 | 怨嫉の話

皆様、お疲れ様です。
というか、書いてるうちに日付跨いでしまいました・・・・
もう、3月ですね・・・
早いもので、今年も六分の一が終わっちゃいましたね・・・・
バタバタしてるくせに来週末、明治座と東京芸術劇場に行く予定を
立てました・・・
「自分の首絞めてる?」と聞かれそうですが
私、自分に楽しみ与えてあげないとやる気をおこさない人間なので(笑)

さて、先日の「愚痴りたくなった時どうしたらいいの?」の続きの記事において
「それでも、まだなんとなく納得いかない」「モヤモヤする」という方のために・・・

 正しくても怨嫉した方が罰を受ける。させた方ではなく、した方に罰が出る。
そう御書に書いてある。「それが本当でも嘘でも」と書いてある。
怨嫉する理由が何であっても、同志であれば功徳はマイナスになって出てくる。
相手が間違っていれば、相手は因果の理法で裁かれる。人が裁くのではない。
法が裁く。相手の成長を祈ってあげること。そうすれば自分も相手も良くなる。
「幹部のくせに」と言わないこと。変な幹部もいるが、成長を祈ってあげること。
「幹部のくせに」と言ったら怨嫉になる。

 正しくても怨嫉になってしまう。成長を祈ってあげれば相手は変わらなくても
自分は良くなる。相手がやるからこちらも怨嫉をやり返すことを『差し違え』と言う。
これもよくあるが、両方とも功徳が消えてしまう。人のために功徳を消してはつまらない。
人のことはほっとくか祈るか、どっちかしかない。感情をぶつければ怨嫉になる。
御本尊に祈ってあげれば自分も相手も変わる。

河合師範 「信心の基本を学ぶ」②より

また河合師範「信心の基本を学ぶ」② かた抜粋しましたが
今回は上記の「人のことはほっとくか祈るか、どっちかしかない。」に
ついて掘り下げてみます。
「ほっとく」というのは、十四誹謗(松野殿御返事 御書1382ページ 
「教学の基礎」創価学会教学部編 324ページ)にある、
正法信受している人を軽蔑する「軽善(きょうぜん)」、
正法信受している人を憎む「憎善(ぞうぜん)」、
正法信受している人を妬む「嫉善(しつぜん)」、
正法信受している人を恨む「根善(こんぜん)」
と「正法信受している人」へ持ってはいけない感情として戒められてるものに
当てはまらない方法を河合師範が示したのだと思います。
なので「もう無理」「もう生理的に考えるのも無理」
「考えると余計に嫌になっちゃう」等考えたくもないという場合には
この方法もありかと思います。

さて「祈る」場合の別の河合師範の指導が
あったので再度ご紹介(前回は、この記事の中で紹介)

ある女子部から手紙がきました。
職場の嫌な同僚が辞めますようにって祈っていいかって聞いてきたことのある子です。
相手の成長を祈り始めると、その人が、ある朝の朝礼で突然号泣しながら
「もう人の嫌がることはしない」と言い出したそうです。
相手の成長を祈ったから相手が変わったんです。
みんな結構「あの人は変わらないよ」と思って祈らないもんです。

1998・2・14門真文化会館 河合師範の指導から抜粋

人間指摘すると、その指摘が正しくとも反抗したくなり
言い合いとなり話がこじれ余計悪い方向に向かっていく時があります。
池田先生の指導の境涯革命五原則から考えてみても
「良くなるように」「成長しますように」と祈るのが一番の近道かと思います。
ご本尊様経由で相手の生命に訴えるので、相手も無視はできませんから(笑)
「南無妙法蓮華経」の一言だけでいいんです、祈ったことに変りはありませんから







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by hakodate0711 | 2015-03-05 00:19 | 怨嫉の話

皆様、お疲れ様です。
私、来月のネバーランド?のために現実を戦っております(笑)
先日、テレビを見ていましたところ
サラリーマン川柳入選作品100句に妖怪ウォッチにひっかけた
「妖怪か ヨー出るヨー出る 妻の愚痴」という川柳がありました。
河合師範の指導を思い出し、読み直しておりました。
愚痴、文句、怨嫉を的確に捉えた指導に改めて考えるところ
多々ありました。

さて今日は「愚痴りたくなった時どうしたらいいの?」というお話です。

答えとしては、「ご本尊様に訴えて祈りにする」です。
昔、ある芸術部の女性の方の講演に行った時
その方は、人間関係において嫌なことががいると
「今日、あの女が、あんなこと言ったんですよ」等
ご本尊様にぶつけるというのを仰っていたのを思い出します。
境涯革命五原則において
「一、他人に言ったら愚痴になり・御本尊に訴えれば祈りになる。」とあり、
河合師範の指導にも出てくる
「人のことはほっとくか祈るか、どっちかしかない。感情をぶつければ怨嫉になる。
御本尊に祈ってあげれば自分も相手も変わる。」という指導があります
ちなみに、祈る時に「相手の不幸」を祈ると完全に怨嫉ですから(汗)
今考えると、その方の方法が一番いい方法だなと思いました。
それでも、まだ、納得できない腹が立つことがあったという方と怨嫉に悩む方への
記事をまた順にアップさせて頂きますので宜しくお願いします。

※本日、境涯革命五原則のところのコメント、フォローについて新たな注意をk加えさせて
頂いております。








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by hakodate0711 | 2015-02-25 22:17 | 怨嫉の話