怨嫉=罰 ②感情で対すれば怨嫉となる・題目で包容すれば成長出来る。

皆様、こんばんは
さて今日は、前回からの引き続き、怨嫉についてです
またもや、河合師範の指導を引用させて頂きます。

 正しくても怨嫉した方が罰を受ける。させた方ではなく、した方に罰が出る。
そう御書に書いてある。「それが本当でも嘘でも」と書いてある。
怨嫉する理由が何であっても、同志であれば功徳はマイナスになって出てくる。
相手が間違っていれば、相手は因果の理法で裁かれる。
人が裁くのではない。法が裁く。
相手の成長を祈ってあげること。そうすれば自分も相手も良くなる。
「幹部のくせに」と言わないこと。変な幹部もいるが、成長を祈ってあげること。
「幹部のくせに」と言ったら怨嫉になる。
 
 正しくても怨嫉になってしまう。成長を祈ってあげれば相手は変わらなくても
自分は良くなる。相手がやるからこちらも怨嫉をやり返すことを『差し違え』と言う。
これもよくあるが、両方とも功徳が消えてしまう。
人のために功徳を消してはつまらない。人のことはほっとくか祈るか、どっちかしかない。
感情をぶつければ怨嫉になる。御本尊に祈ってあげれば自分も相手も変わる。

結構多いのが家庭内怨嫉。主人を恨み、姑を恨んで頑張っている。
主人を恨んでも変わる気がないんだから無駄。そんな主人を選んだのだから自業自得。

 よく戸田先生が「3歳と5歳の兄弟だから喧嘩になる。境涯が近いからだよ。
片方が10歳だったら喧嘩にならないだろ。夫婦でも同じだよ。
自分が境涯を上げて、相手を引っ張り上げてやればいいんだ。」と言われていた。
相手の成長を祈ればいい。主人の成長を祈れば自分が成長する。
相手も成長する。感情をぶつけるから怨嫉になる。主人は悩んでいないから。
こっちが祈るしかない。姑さんも悩んでいない。変わる気もない。
成長を祈ってあげること。嫁は未熟に決まっているんだから、
姑は成長を祈ってあげればいい。「これだけは別」と言う気持ちでやっている。
もともと姑と嫁は天敵。その前に同志なんだから祈ってあげればいい。
そうずればすっきりするのに。怨嫉をやめて相手のことを祈れば自分が良くなる。これがコツ。

河合師範 「信心の基本を学ぶ」② 当ブログ2012年11月15日より

信心してる同志の間でなくても「怨嫉」は非常に見苦しいです
身近に感じた「怨嫉」というと、お店に入って、部下をガミガミ怒鳴る上司の
店員さんみるとコトにもよりけりな部分はありますが、たいてい部下の店員さんより、
上司の店員さんに腹が立ってきます・・・・
そして、どんなにおいしいとか、サービスがいいとか、安いとかの利点があっても
私の場合、二度とそのお店に足を運ぶことはありません・・・・
結局そのお店は神様であるお客様から見放された結果ということになります。

「感情で対すれば怨嫉となる・題目で包容すれば成長出来る。」
境涯革命5原則にある通り法を信じ、相手の成長を祈れば解決できます。
「祈ったって相手は変わらない」と思えば法を信じてないということ即ち「不信」です
怨嫉の本質は「不信」なのかもしれません。
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by hakodate0711 | 2013-12-01 21:59 | 怨嫉の話

怨嫉=罰 ① 河合師範指導と私の体験

皆様、こんばんは
今日は任用試験ですね(書いてる時に日付またいじゃったので(汗)
受験者の皆様、実力を出し切れること願ってます。

さて、今日は、「怨嫉=罰」についてです。
怨嫉は後日十四誹謗の話も書いていきたいので
「①」とつけております。

先ず、河合師範の指導から・・・・

 同志に怨嫉をすると功徳はマイナスになる。罰になる。
怨嫉は謗法だから困ったことに、相手が間違っていても同志だと
怨嫉になる。「私が正しい!」「相手が間違っている!」と言っている
ことが結構ある。これを『正しい怨嫉』と言う。

 
 正しくても怨嫉した方が罰を受ける。させた方ではなく、
した方に罰が出る。そう御書に書いてある。
「それが本当でも嘘でも」と書いてある。
怨嫉する理由が何であっても、同志であれば功徳はマイナスになって出てくる。
相手が間違っていれば、相手は因果の理法で裁かれる。
人が裁くのではない。法が裁く。相手の成長を祈ってあげること。
そうすれば自分も相手も良くなる。「幹部のくせに」と言わないこと。
変な幹部もいるが、成長を祈ってあげること。
「幹部のくせに」と言ったら怨嫉になる。

 正しくても怨嫉になってしまう。成長を祈ってあげれば相手は
変わらなくても自分は良くなる。相手がやるからこちらも怨嫉を
やり返すことを『差し違え』と言う。これもよくあるが、両方とも功徳が
消えてしまう。人のために功徳を消してはつまらない。
人のことはほっとくか祈るか、どっちかしかない。感情をぶつければ
怨嫉になる。御本尊に祈ってあげれば自分も相手も変わる。
(河合師範 「信心の基本を学ぶ」② 当ブログ2012年11月15日より)

お恥ずかしい話ですが、
数年前「自分が正しい、相手が間違ってる」と同志に怨嫉したことが
あります。
相手が嫌いで憎んだわけではなく、文句や愚痴をくどくど言ったわけでもなく、
「絶対自分が正しい、相手に絶対謝ってこい」という一念を
ご本尊様にぶつけてたんです。

結果、私見事に罰を受けました、今思い起こせば、ある意味面白いくらいに(汗)

しかも、これでもかってぐらいに(汗)その時のこと詳細に日記にでもつけておけば良かったかと思いました(大汗)
仕事等色々なことが絡むので詳細にはお話はできず非常に残念ですが
その当時、家で「生きる屍」のごとく動けなかったです・・・・
そんな私を見た母が私に言った一言が・・・・
「アンタは、愚痴や文句や泣き言を言ってる時は、
まだ復活の見込もあるけど本当にダメになると動くかなくなる」
その時を象徴する一言です・・・・

そんな時に、河合師範の指導読み直して気が付いたんです
そして、すっぱりこの「怨嫉」を辞めました
潮が引くように問題が解決していきました
これが「怨嫉の仏罰」ということと納得する体験となりました・・・・・
皆様、「怨嫉は億害あって一利なし」です。
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by hakodate0711 | 2013-11-24 00:46 | 怨嫉の話