徒然なるままに書いてます

by hakodate07

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半南無の話 

皆様、お疲れ様です。
私のお盆は、いきなりパンケーキ焼きはじめたりとどこに行くこともなく
ダラダラ・・・じゃなくて多々考えることがあり、
河合師範の指導を読み返してます。
その中でも、今日は自分にも多々思い当たる話として「半南無」のお話です。

ある人が大きな借金をして店舗を改装し、開店が間近になった時、
「こんなに借金をして、返せるだろうかと思うと、自信がなくなってしまって」
と落ち込んで、ションボリして来られました。

「自信と言ういうのは、困難なことをやり抜いて成功したときにつくもので、
今から自信があったらおかしいでしょう。御本尊に強く祈り、
『絶対に成功させてみせる』と確信をもって挑戦してごらんなさい。
必ずうまくいきますよ」と激励したところ、決意して帰られました。
そして、開店して2か月ぐらいたってから、
「新装開店は大成功でした。ちょっぴり自信がつきました」という手紙が届きました。

「続・生活にいきる信仰 Q&A」 河合一 第三文明社より

(当ブログ  2014年3月29日  自信をつけるには・・・・  参照

この話に類して、別の河合師範の指導を・・・

どうしたらいいかと祈っている人がいるが、全く意味がない。
交番へ行って「どこへ行けばいいのでしょうか?」と聞いているようなもの。
答えがない。御本尊が何か決めるのではない。自分が決めて祈るからそうなる。
「こうしたい!」「こうなりたい!」と祈ること。必ずそうなる。
「困った!御本尊!以上終わり!」簡単です。これを『南無』と言う。
南無というのは、「生命を任せます!」と言うこと。
「お願いします。あとはよろしく!」これで良い。でも結構任せていない人が多い。
「お願いはしてみます。でもだめだろうな。」と祈っている。
だからそうなる。願い通り。できないと決めたら御本尊不信。
だめだと決めたら御本尊不信、自分の中の甘さも御本尊不信。願ってお任せ。
「お願いします!あとはよろしく。」これでよい。信仰というのは、無理だから祈る。
方法がないから祈る。常識で不可能だから祈る。方法があれば祈る必要はない。
やればいいんです。道がいないから祈る。それが南無。そう御書に書いてある。
「湿れる木より火を出し、乾ける土より水をもうけんが如く強盛に申すなり」と。
「“湿った木を燃やしてみせる、砂漢から水を出してみせる”と強く祈るんだよ!」とおっしゃっている。
「不可能を可能にするのが信仰だよ!」とおっしゃっている
「お願いはしてみます。でもだめだろうな。」と祈っている。
これを『半南無』と言う。半信半疑は不信だから叶わない。「だめでしょうね。」とその通りになる

(当ブログ 2012年 11月 15日 河合師範 「信心の基本を学ぶ」①  参照)

やる前から「自信がない」「責任を持てない」というのは、
やる前から「だめでしょうね。」という一念でいるから本当にそうなってしまう・・・
家電製品とか壊れた時に、知らない業者さんにでも簡単に修理を依頼して
任せっぱなしにできるのに、何故、何か困った時に、絶対のご本尊様に
素直にお願いできないのでしょうか?
せっかく、素晴らしいご本尊様を持ってるのに、それに頼らない宝の持ち腐れだし
非常に失礼な話です。
最近、様々な時事問題を見ていて、仏の目から見たら、どんな天才と言われる人が
考えて確信持ってやることでも所詮は凡夫のやること・・・・
蟻がやることみたいなものでちょっとしたことで覆ってしまうと思うことがあります。
心から素直に「南無妙法蓮華経」と唱え「こうしたい!」と「こうなりたい」
という一念をぶつけてしまいましょう!



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by hakodate0711 | 2016-08-12 19:24 | 河合師範