皆様、お疲れ様です。
来週は、待ちに待った盛岡できよしのコンサート(夜の部参加予定)です!
しかし、今回は氷室さんの東京ドームの1・2日目でゲットした席よりも
後です・・・(T_T)
今まで、函館最前列、釧路4列目と良席をゲットしてきてきたので
タカを括っていて、今回大丈夫と思っておりましたが、完全に裏目に出る形でした。
やはり、ちゃんと具体的に祈らないとダメですね・・・

ここで、今の私に最適な河合師範の指導を・・・

「良くしよう!!と祈れば良くなる。それ以外は無駄。みんな勤行・唱題しているが、
一念がきちんと御本尊に向いているかどうか。それが、祈っているかどうかということ。
「絶対信心で解決しようという強い決意と、具体的な目標を決めて一念を定めて
祈っていること」を『祈る』と言う。祈るから叶う。唱題してても祈っていない場合、
決意・目標が曖昧な祈り、唱題のための唱題、これは、『惰性の祈り』。
「どうしようか」と方法諭を考えている唱題は『迷いの唱題』。
「だめだろうなぁ」と思って祈っている『不信の唱題』は一念が御本尊に向いていない。
祈ってないから叶わない。唱題ではなく祈りが大事。

 具体的に強く祈ること。そうすれば叶う。それ以外は叶わない。
唱題のための唱題もつまらない。先生は「疑いや形式であれば、たとえ100万遍
あげても境涯が開けるものではない。自分自身の発心で、目標を決めて唱題すれば
必ず開けるのである。義務的・形式的な勤行・唱題、それは惰性のあらわれであり、
空転を生むだけである。きちんと一念を定めて祈らなければだめだよ。」と言われている。
こうなりたい、こうしたいと祈ればよい。信心は心ですること。頭でするのではない。
心を、素直にぶつけることを祈りという。できるかどうかではなく、「こうなりたい!」
と祈ればいい。必ずそうなる。信心は簡単です。

河合師範 「信心の基本を学ぶ」②

よく、「ご本尊様はちゃんとわかってくださるから、自分のことは
祈らなくてもいい」とか言われる方おりますが、絶対にダメです。
今回の私みたいになりますから・・・・後悔先に立たずです。
皆様はこのような後悔なさらないようにお願い致します。


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by hakodate0711 | 2016-10-30 19:57 | 河合師範

皆様、お疲れ様です。
近所のスーパーの関西フェアで買った「みっくちゅじゅーちゅ」を
飲みながら先月の大阪ライブの余韻に浸っております。
今日は、このブログでは、珍しく、昨日に引き続き連日の更新です。
実は、昨日の記事より先にこの記事の方が大元は出来上がっておりました。

さて、色々と「怨嫉」について語っておりますが、
「怨嫉する方」は罰を受けるけど、「怨嫉される方」が何をしてもいい
なんて思っている方がいたとしたら大変なことになるという
懸念がございまして、今日は、これらの指導を紹介させて頂きます。

正しくても怨嫉した方が罰を受ける。させた方ではなく、した方に罰が出る。
そう御書に書いてある。「それが本当でも嘘でも」と書いてある。
怨嫉する理由が何であっても、同志であれば功徳はマイナスになって出てくる。
相手が間違っていれば、相手は因果の理法で裁かれる。人が裁くのではない。法が裁く。

河合師範 「信心の基本を学ぶ」② より

「怨嫉する方」が罰を受けるのは当然ですが、
「怨嫉される方」に間違いがあれば、これは別で「因果の理法」で裁かれます。
悪事、非常識、迷惑行為、「他人不幸の上に自分の幸せを築く」行為、
悪を見逃したりする行為をすれば「因果の理法」で裁かれます。

では、仏法を持ってない人から恨まれたり等したときにはどうなるか・・・

広宣流布の闘士である皆様方を侮辱し迫害する者は
「豈大悪人(あにだいあくにん)に非(あら)ずや」であり、
仏罰も厳然である。御本仏が御断言です。
池田名誉会長 「御書と師弟」 第6回 仏の未来記より

やはり、仏法者に対して馬鹿にする等した場合は仏罰があたることが
明記されております。
こちらの指導には、特に、明記してはおりませんが、
先程の河合師範の指導から考えると、仏法者と言えども、仏法を持ってない人に
悪事、非常識、迷惑行為、「他人不幸の上に自分の幸せを築く」行為、
悪を見逃したりする行為等の「間違い」を犯した人間は「因果の理法」
において裁かれます。

しかも、このような行為を改められない人は、「仏」になれず、
最後は「法華経の敵」になってるパターンが多いです。
今までの退転者を見てると、借金、異性問題等の問題行動を改められず、
結局、退転し、最終的に学会を逆恨みして「法華経の敵」となって立ち
はだかってますよね。
そして、最後の最後には惨めな末路を迎えております。

また、「間違い」が、法を弘めるどころか法を下げてしまいます。
この「法を下げる」については別の機会にお話させて頂きます。
皆様、言われるまでもないですが、仏法者は広宣流布の為に、
周囲に誇れる行動をして頂けるようお願い致します。

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by hakodate0711 | 2016-10-10 20:02 | 怨嫉の話

皆様、お疲れ様です。
またまた、間が開いてしまいましたが、生きてます!
梅田の地下迷宮を徘徊し、カップルだらけの観覧車にあきらめ
(おひとり様で、40分待ちはきついので)、松村さんライブ
行ったりの大阪強行突破ツアーを繰り広げたり、
函館開催のニコニコ町会議に参加したりしておりました。

さて、今日は、先日の池田先生のご指導において追記したい部分が
ございますので、まずは、指導の復習を・・・

「-しかし、互いに人間である。嫌いな幹部もいるかもしれない。
いやな人もいるかもしれない。それらを好きになれといっても、
無理な場合もあるだろう。嫌いでもいいと思う。
好き、嫌いと怨嫉とは違う。嫌いだから信心の話も聞かず、
信心のための一緒の行動もやらぬというのが怨嫉である」
(「指導の泉」95ページ 和泉覚著より )
※和泉副会長が池田先生の指導を引用してるため

これだけ多くの学会員がいれば、社会に出て学会員同士が商売敵と
いうのも当たり前の話です。
同じ町内で同じ商売を営んでいたり、同業他社に務めていたり、
プロスポーツの場合、学会員同士で対決したりしてます。
それらを避けていたら人間社会生活が成り立ちません。
また、公表してない有名人の方で学会員と言う方も結構います。
そのため、嫌いな有名人が実は、学会員と言うパターンも意外と
多いと思います。
しかし、これらは「怨嫉」となるでしょうか?
違いますね。
この先生の指導は、そういうことも言われている指導だと私は思います。

尚、学会員じゃないから「怨嫉」にはあたらないといって、
「嫌い」だからと言って攻撃していいかというのも、それもまた違うと思います。
そういう行為が「法を下げる」行為になりかねませんのでご注意頂けるよう
お願い致します。

前回の更新後に、以前、こちらでご紹介させて頂きました
過去に囚われる必要はない~ある創価大学教授のお話~
加藤九祚(かとう きゅうぞう)先生がお亡くなりなられました。
ご冥福お祈りいたします。

関連記事
「怨嫉」と「嫌い」は違う

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by hakodate0711 | 2016-10-09 21:20 | 怨嫉の話