皆様、お疲れ様です。
近所のスーパーの関西フェアで買った「みっくちゅじゅーちゅ」を
飲みながら先月の大阪ライブの余韻に浸っております。
今日は、このブログでは、珍しく、昨日に引き続き連日の更新です。
実は、昨日の記事より先にこの記事の方が大元は出来上がっておりました。

さて、色々と「怨嫉」について語っておりますが、
「怨嫉する方」は罰を受けるけど、「怨嫉される方」が何をしてもいい
なんて思っている方がいたとしたら大変なことになるという
懸念がございまして、今日は、これらの指導を紹介させて頂きます。

正しくても怨嫉した方が罰を受ける。させた方ではなく、した方に罰が出る。
そう御書に書いてある。「それが本当でも嘘でも」と書いてある。
怨嫉する理由が何であっても、同志であれば功徳はマイナスになって出てくる。
相手が間違っていれば、相手は因果の理法で裁かれる。人が裁くのではない。法が裁く。

河合師範 「信心の基本を学ぶ」② より

「怨嫉する方」が罰を受けるのは当然ですが、
「怨嫉される方」に間違いがあれば、これは別で「因果の理法」で裁かれます。
悪事、非常識、迷惑行為、「他人不幸の上に自分の幸せを築く」行為、
悪を見逃したりする行為をすれば「因果の理法」で裁かれます。

では、仏法を持ってない人から恨まれたり等したときにはどうなるか・・・

広宣流布の闘士である皆様方を侮辱し迫害する者は
「豈大悪人(あにだいあくにん)に非(あら)ずや」であり、
仏罰も厳然である。御本仏が御断言です。
池田名誉会長 「御書と師弟」 第6回 仏の未来記より

やはり、仏法者に対して馬鹿にする等した場合は仏罰があたることが
明記されております。
こちらの指導には、特に、明記してはおりませんが、
先程の河合師範の指導から考えると、仏法者と言えども、仏法を持ってない人に
悪事、非常識、迷惑行為、「他人不幸の上に自分の幸せを築く」行為、
悪を見逃したりする行為等の「間違い」を犯した人間は「因果の理法」
において裁かれます。

しかも、このような行為を改められない人は、「仏」になれず、
最後は「法華経の敵」になってるパターンが多いです。
今までの退転者を見てると、借金、異性問題等の問題行動を改められず、
結局、退転し、最終的に学会を逆恨みして「法華経の敵」となって立ち
はだかってますよね。
そして、最後の最後には惨めな末路を迎えております。

また、「間違い」が、法を弘めるどころか法を下げてしまいます。
この「法を下げる」については別の機会にお話させて頂きます。
皆様、言われるまでもないですが、仏法者は広宣流布の為に、
周囲に誇れる行動をして頂けるようお願い致します。

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# by hakodate0711 | 2016-10-10 20:02 | 愚痴と文句と怨嫉は厳禁

皆様、お疲れ様です。
またまた、間が開いてしまいましたが、生きてます!
梅田の地下迷宮を徘徊し、カップルだらけの観覧車にあきらめ
(おひとり様で、40分待ちはきついので)、松村さんライブ
行ったりの大阪強行突破ツアーを繰り広げたり、
函館開催のニコニコ町会議に参加したりしておりました。

さて、今日は、先日の池田先生のご指導において追記したい部分が
ございますので、まずは、指導の復習を・・・

「-しかし、互いに人間である。嫌いな幹部もいるかもしれない。
いやな人もいるかもしれない。それらを好きになれといっても、
無理な場合もあるだろう。嫌いでもいいと思う。
好き、嫌いと怨嫉とは違う。嫌いだから信心の話も聞かず、
信心のための一緒の行動もやらぬというのが怨嫉である」
(「指導の泉」95ページ 和泉覚著より )
※和泉副会長が池田先生の指導を引用してるため

これだけ多くの学会員がいれば、社会に出て学会員同士が商売敵と
いうのも当たり前の話です。
同じ町内で同じ商売を営んでいたり、同業他社に務めていたり、
プロスポーツの場合、学会員同士で対決したりしてます。
それらを避けていたら人間社会生活が成り立ちません。
また、公表してない有名人の方で学会員と言う方も結構います。
そのため、嫌いな有名人が実は、学会員と言うパターンも意外と
多いと思います。
しかし、これらは「怨嫉」となるでしょうか?
違いますね。
この先生の指導は、そういうことも言われている指導だと私は思います。

尚、学会員じゃないから「怨嫉」にはあたらないといって、
「嫌い」だからと言って攻撃していいかというのも、それもまた違うと思います。
そういう行為が「法を下げる」行為になりかねませんのでご注意頂けるよう
お願い致します。

前回の更新後に、以前、こちらでご紹介させて頂きました
過去に囚われる必要はない~ある創価大学教授のお話~
加藤九祚(かとう きゅうぞう)先生がお亡くなりなられました。
ご冥福お祈りいたします。

関連記事
「怨嫉」と「嫌い」は違う

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# by hakodate0711 | 2016-10-09 21:20 | 愚痴と文句と怨嫉は厳禁

皆様、お疲れ様です。
秋ですね、季節に合わせて、こちらのブログも模様替えにしました。
しかし、台風の影響で玉ねぎ等の野菜が高くて卒倒しそうになりました・・・・
大阪では食い倒れる予定なのに・・・秋の味覚が・・・
その前に、台風で飛行機とか大丈夫かと多々心配事もあります・・・

さて、今日、皆様、お悩みの「怨嫉」についてです。
当ブログの検索ワードを確認していると「怨嫉」で悩まれてる方が
多いようなので、今日はこの話になりました。
「組織にどうしても好きになれない人がいる・・・」
「嫌いな人が、学会員だったんだけど、これは怨嫉になるのかな・・・」
「あの人は学会員だけど、どうしても生理的に受け付けない」等々
皆様あると思います。

ここで、まず「怨嫉」について復習・・・・
「怨嫉」とは、十四誹謗(松野殿御返事 御書1382ページ 
「教学の基礎」創価学会教学部編 324ページ)のうちの
正法信受している人を軽蔑する「軽善(きょうぜん)」、
正法信受している人を憎む「憎善(ぞうぜん)」、
正法信受している人を妬む「嫉善(しつぜん)」、
正法信受している人を恨む「恨善(こんぜん)」です。
日蓮大聖人は「松野殿御返事」のなかで、
「法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀(そし)りては罪を得る」
(松野殿御返事 御書1382頁)
と記されております。
怨嫉の「罰」は非常に厳しいです。

さて、池田先生のご指導を・・・・
「-しかし、互いに人間である。嫌いな幹部もいるかもしれない。
いやな人もいるかもしれない。それらを好きになれといっても、
無理な場合もあるだろう。嫌いでもいいと思う。
好き、嫌いと怨嫉とは違う。嫌いだから信心の話も聞かず、
信心のための一緒の行動もやらぬというのが怨嫉である」
(「指導の泉」95ページ 和泉覚著より )

会社でもそうですよね、「嫌い」だから一緒に仕事しない、
協力しない、妨害する、攻撃するなんて言語道断です。
会社が大恥をかきますし、信頼が失われます。
そんなことしてる社員は会社にいてもらっても大迷惑です。
「獅子身中(しししんちゅう)の虫」です。
「嫌いだな」と思っても、仕事は仕事ですからちゃんとしなければなりませんが
嫌いな人を無理に好きになる必要はないのです。
「会社」を「学会」、「仕事」を「信心」に置き換えれば、わかりやすいかと思います。
学会も世界に広まり、学会員の人も多くいますので、嫌いな人は絶対出てくると思います。
よく、「汚い生命が・・・」とか自己嫌悪される方もいると思いますが
人間それが普通で、嫌いな人がいないという人が奇特だと思いますので
自分を責めないでください。
「嫌い」なのではなく「自分とは相性があわない」と思えばいいのです。
世の中全部の人と相性が合う人はいませんから・・・

この先生の指導から、河合師範が
「人のことはほっとくか祈るか、どっちかしかない。
感情をぶつければ怨嫉になる。
御本尊に祈ってあげれば自分も相手も変わる。」
(詳細、当ブログ「人のことはほっとくか祈るか、どっちかしかない」参照)
と指導されたと思うのです。
先生や河合師範の指導を胸に刻み、信心は信心として
自分を追い詰めず楽しく信心していって
多くの福運を積めることを願っております。

関連記事
「怨嫉」の傾向と対策
人のことはほっとくか祈るか、どっちかしかない




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# by hakodate0711 | 2016-09-11 19:40 | 愚痴と文句と怨嫉は厳禁

言葉はブーメラン①

皆様、お疲れ様です。
なんやかんやで9月に突入、そして台風がとんでもないことに・・・
台風予測が難しい状態ですので皆様お気を付けください・・・
早いもので、あと4か月ほどで2016年が終わろうとしております・・・
私は、明治座の氷川きよし特別公演と「銀魂」の実写映画を見るという
来年の予定が組み込まれております(笑)
しかし、まずは9月下旬の大阪と11月の盛岡のきよコンですが・・・

さて、最近「言葉はブーメラン」だなと思います。
私は、基本的に「毒舌」が嫌いです。
綾小路きみまろさんとかみたいな他の出演者さんやお客さんと信頼関係が
成り立ってるものは別ですが、一方的に攻撃的で面白いからということで
何でもネタにするいわゆる完全に「いじめ」です。
「他人の不幸の上に自分の幸福を築く」のタイプだと思います。
基本的に「他人の不幸の上に自分の幸せを築く」人は
絶対に何倍にもなって人生返ってくると思っています。
また、それを面白がって優越に浸る人も同じです。

また、悪の糾弾等は別として、当事者から直接聞いたわけなく
人から伝え聞いたことについて乗っかって余計なことを
しゃべらないことです。
マスゴミも含めて他人は面白がって話盛りまくりますし、
都合が悪いとすぐに手のひら返しますから情報は精査しましょう。
よくもわからないのに、後で詳細や真実を知って
「うわ~知らなかった、ゴメンね」なんて済まされず、
「あの人、あの時こんなこと言ってた」とか覚えてられて
何かあった時、今度自分が攻撃される「明日は我が身です」から
さして、人生経験積んでない私ですが、日々こういう因果を見ております。

以前掲載した御文ですが(因果の理法①~ある幹部の印象的な指導~参照)

人の身(み)には 同生同名(どうしょうどうみょう)と申す二(ふたり)の
つかひを天生(うま)るる時よりつけさせ給(たま)いて影の身に・
したがふがごとく須臾(しゅゆ)も・はなれず、大罪・小罪・大功徳・小功徳
すこしも・おとさず・かはる・かはる天にのぼ(上)て申し候(そうろう)
(同生同名御書 1115ページ)

(通解)
人間は生まれたときから同生天(どうしょうてん)・同名天(どうみょうてん)
という二人の使いが天からつけられていて、影がいつも体についてるように
一瞬の間も離れず、その人の大罪・小罪・大功徳・小功徳を少しも
残すことなく、かわるがわる天に昇って報告しているのです。

また、別の御文において

わざわいは口より出でて身をやぶる・さいわいは心よりいでて我をかざる

(十字御書(むしもちごしょ) 1492ページ)

(通解)
わざわいというのは自分の言葉から起きて、身をほろぶすのです。
幸福は心(信心)より発して、自分自身をかざっていくのです。
(資料 要文選集 創価学会教学部編)

だから、信心して境涯を上げて自分の人生を良くして
いかなければならないのです。
「他人に言ったら愚痴になり・御本尊に訴えれば祈りになる。」
「境涯革命五原則」参照)
とも言われてますので、何かどうしても我慢できなく口にしたい想いは、まず、
ご本尊様にぶつけましょう、そうすれば解決のための「祈り」になりますから!






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# by hakodate0711 | 2016-09-04 19:41 | 因果の理法

半南無の話 

皆様、お疲れ様です。
私のお盆は、いきなりパンケーキ焼きはじめたりとどこに行くこともなく
ダラダラ・・・じゃなくて多々考えることがあり、
河合師範の指導を読み返してます。
その中でも、今日は自分にも多々思い当たる話として「半南無」のお話です。

ある人が大きな借金をして店舗を改装し、開店が間近になった時、
「こんなに借金をして、返せるだろうかと思うと、自信がなくなってしまって」
と落ち込んで、ションボリして来られました。

「自信と言ういうのは、困難なことをやり抜いて成功したときにつくもので、
今から自信があったらおかしいでしょう。御本尊に強く祈り、
『絶対に成功させてみせる』と確信をもって挑戦してごらんなさい。
必ずうまくいきますよ」と激励したところ、決意して帰られました。
そして、開店して2か月ぐらいたってから、
「新装開店は大成功でした。ちょっぴり自信がつきました」という手紙が届きました。

「続・生活にいきる信仰 Q&A」 河合一 第三文明社より

(当ブログ  2014年3月29日  自信をつけるには・・・・  参照

この話に類して、別の河合師範の指導を・・・

どうしたらいいかと祈っている人がいるが、全く意味がない。
交番へ行って「どこへ行けばいいのでしょうか?」と聞いているようなもの。
答えがない。御本尊が何か決めるのではない。自分が決めて祈るからそうなる。
「こうしたい!」「こうなりたい!」と祈ること。必ずそうなる。
「困った!御本尊!以上終わり!」簡単です。これを『南無』と言う。
南無というのは、「生命を任せます!」と言うこと。
「お願いします。あとはよろしく!」これで良い。でも結構任せていない人が多い。
「お願いはしてみます。でもだめだろうな。」と祈っている。
だからそうなる。願い通り。できないと決めたら御本尊不信。
だめだと決めたら御本尊不信、自分の中の甘さも御本尊不信。願ってお任せ。
「お願いします!あとはよろしく。」これでよい。信仰というのは、無理だから祈る。
方法がないから祈る。常識で不可能だから祈る。方法があれば祈る必要はない。
やればいいんです。道がいないから祈る。それが南無。そう御書に書いてある。
「湿れる木より火を出し、乾ける土より水をもうけんが如く強盛に申すなり」と。
「“湿った木を燃やしてみせる、砂漢から水を出してみせる”と強く祈るんだよ!」とおっしゃっている。
「不可能を可能にするのが信仰だよ!」とおっしゃっている
「お願いはしてみます。でもだめだろうな。」と祈っている。
これを『半南無』と言う。半信半疑は不信だから叶わない。「だめでしょうね。」とその通りになる

(当ブログ 2012年 11月 15日 河合師範 「信心の基本を学ぶ」①  参照)

やる前から「自信がない」「責任を持てない」というのは、
やる前から「だめでしょうね。」という一念でいるから本当にそうなってしまう・・・
家電製品とか壊れた時に、知らない業者さんにでも簡単に修理を依頼して
任せっぱなしにできるのに、何故、何か困った時に、絶対のご本尊様に
素直にお願いできないのでしょうか?
せっかく、素晴らしいご本尊様を持ってるのに、それに頼らない宝の持ち腐れだし
非常に失礼な話です。
最近、様々な時事問題を見ていて、仏の目から見たら、どんな天才と言われる人が
考えて確信持ってやることでも所詮は凡夫のやること・・・・
蟻がやることみたいなものでちょっとしたことで覆ってしまうと思うことがあります。
心から素直に「南無妙法蓮華経」と唱え「こうしたい!」と「こうなりたい」
という一念をぶつけてしまいましょう!



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# by hakodate0711 | 2016-08-12 19:24 | 河合師範