どんな大善をつくしても、○○○○をしていなければ、ゼロとなることがある。
2014年 04月 02日東京の方は、桜が春の嵐を乗り越え満開となり、見頃を迎えているようです。
函館も、すっかり雪が融け、温かくなってきているものの
桜の開花は5月2日、満開は5月5日とまだ1か月も先のようです。
私は桜を待ちながら、大人しくふきのとうを摘んできます。
先程、母に「今日は、何の日かわかる?」と投げかけてみると
「牧口先生のご命日」と自信満々に答えました(汗)
今日は「戸田先生のご命日」です(大汗)、間違ってはいけません!
先日の聖教新聞(3月31日付)の紙上座談会の「世界広布新時代の旭日(34)
後継の弟子が報恩、勝利を誓う」に
「宗門に巣くう邪悪とは、断固、戦え。一歩も退いてはならんぞ。
追撃の手をゆるめるな!」
という戸田先生の最後の指導であり、遺言が出てきます。
今日の記事は、日顕宗(悪)撲滅についてです。
「また~」と思う人もいるかもしれませんが、信心する上で最も重要なことです。
信心ふかきものも 法華経の かたきをばせめず、いかなる大 善 を
(深) (ほけきょう)(敵) (責) (だいぜん)
つくり法華経を 千万部 読み 書 写し 一 念 三 千の 観 道を
(せんまんぶ)(よ)(しょしゃ) (いちねんさんぜん)(かんどう)
得たる 人なりとも法華経の 敵 をだにも・せめざれば 得 道ありがたし
(え) (ひと) (かたき) (責) (とくどう)
(南条兵衛七郎殿御書 1494ページ)
(なんじょうひょうえしちろうどのごしょ)
(通解)
どんなに大善をつくり、法華経を千万部読み、書写し、一念三千の観心の道を
得た人であっても法華経の敵を責めなければ成仏はできない。
もっと砕けた言い方をするといくら良いことをしても、仏法を深く理解していても、
法華経の敵と戦わなければ、すべてが無意味、成仏できないということです。
上記は、「なぜ、日顕宗(極悪)撲滅しなければならないのか? プロローグ」
(当ブログ2013年12月18日参照)
において紹介させて頂きました御書の一節と通解と私の見解です。
再度、紹介させて頂きます。
悪と戦わなければ、どんなに折伏しても、新聞啓蒙しても、
お題目あげても、教学の力をつけても、人に尽くしても何をしても
上記の御書から解釈するとすべてゼロになってしまうわけです。
ましてや日顕や悪に対して「攻撃できない」「可哀そう」「やりすぎじゃないか」と
思うことは「魔」に負けているということです。
しかも、魔に負けると、退転への道を歩むこととなります。非常に恐ろしいことです。
なぜ退転するかは、また後日に!